究極の心の平和を望むなら、
音楽家は音楽を作り、画家は絵を描き、
詩人は詩を書かなければならない。
人はできることをせずにはいられないからだ。
この欲求を自己実現と呼ぶ。
自己実現とは、人間の自己満足への欲求であり、
人間の可能性を現実させようとする、
すなわち人間ができる可能性のある
すべてのことをしようとする願望だ。
アブラハム・マズロー(アメリカの心理学者)
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あなたは何のために働いてるのでしょうか?
日々の生活のためでしょうか?
自己実現のためでしょうか?
それとも・・・?
この「何のために働くのか?」というのは
本当に深いテーマだと思います。
僕は一時期、人は幸せになるために
働いているのではないかと考えていました。
そうすると幸せってどういう状態なのか?
ということになってくるわけですが、、、
・お金があれば幸せなのか?
・可愛い彼女がいて毎日ラブラブなら幸せなのか?
・自分の好きな仕事につけたら幸せなのか?
・ドラッグをやって脳みそハッピーなら幸せなのか?
・楽しい友達がたくさんいたら幸せなのか?
・親がお金持ちなら家で引きこもっていても幸せかもしれない?
実は、欲求五段階説で有名なマズローは
「絶対的幸福というものは存在しない」
と述べています。
なぜなら、マズローの欲求段階にもあるように
人はある欲の段階を達成すれば
更なる高い段階を基準とするからです。
つまり、幸福=欲求の充足と考えたとき、
人は「完全な幸せ」に永遠にたどり
つくことはできないということになります。
だから、人はそのたどり着けない
完全な幸せを求めて一生働き続けるのかなと
思ったりもしたわけですが、それは単なる
強迫観念に似た状態とも言えるのではないかと思います。
ではどうすれば幸せに近づけるのか?
世界で行われた幸福度の調査で
(ちなみに日本はかなり低い順位でした)
幸せと答えた人に見られた特徴として
以下の4項目があったそうです。
1)自分自身が好きであること
2)主体的に生きているという感覚を持てていること
3)楽観的であること
4)外向的であること
人は何のために働いているのか?
幸せってどんな状態なのか?
僕の中でその明確な答えは出ていないのですが、
幸せだと答え人に見られた上の4つの項目は
何かの参考になるのではないかと思います。
あともう一つ。
人は価値のある活動に積極的に参加し、
自身のゴールをめざして前進するときに、
より多くの幸福を感じることができるそうです。
もしあなたが幸せになりたいと思うなら、
まずは目標を設定してそれに向けて
頑張ってみるのはどうでしょう。
磯貝優
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とりあえずありがとうを10万回言ってみましょう。
幸せになれますよ。
うそだと思わずにやってみましょう。ただですから。
幸せになれない人は実行しないのです。
文句でおわるでしょう。
自分は47カ国行ってきたけど先進国の中で日本がもっとも人生設計をしていない、無目的で
生きている人が多いと痛感する。将来、なりたいものやつきたい職業を持ち、そのために資格が必要なら資格取得や学歴も逆算して考えてから計画を立てるとかなり行き方は違ってくる。
弁護士になるなら司法試験に合格し、法学部を出る、その前に高校、または中学受験があるのだが、ただ単に親から「勉強しなさい!」と言われたのではやる気がするはずがない。「こんなものをやって社会で役に立つの?絶対使いっこないって!」というようなこともあるはず。
プロ野球選手から甲子園クラスの学校へ行って野球部で活躍するし、ヤクザの息子でも卒業生の何割かは組に入るという有名不良高校で番を張る、医者になるならやはり進学校へ進むし
名門私立大学医学部なら大学受験以前に高校、中学でチャレンジする。ただ、何となくまー大学行こうかくらいの気持ちならだいたい2,3流の大学の文系学部へ入学し、つく職業は営業になる可能性が高い。一流へなるものはたいてい高校くらいではかなりその道でいい線行ってるのはこの目で実際にみて実感した。ヤクザの息子は今は自分が総長になってるが、空手の仲間だったのだけど高校のレベルですでに普通の不良とは顔つきからして全くレベルが違ったし
医者になるために進学校へ行ったものも中学受験くらいからすでにかなりできる子だった。
何でみんな何となく人のことばかりみて人のことばかり話しをして人のことばかりに興味を持つのだろう?「お前は何なんだ!」ってよく思う。不良時代に一番嫌いな奴が「俺は何処どこの誰を知ってます。」というもの。人に頼らなければ喧嘩もできない。好きだと思う奴はたとえどんなによわっちくても「俺が○○だ!」と言える奴。負けても売られた喧嘩は買う奴だ。
負けて伸びてるのを見たらそりゃーおかしいから笑うけど「自分より強い奴相手によくやったよ。このバカ。ナイスファイト!」って思うし喧嘩が弱く立って将来何かやって成功するかも
しれないと思った。そういう奴は面白くて退屈しないし、実際に起業するガッツのある奴は多い。日本人ってすごく子分肌で人の子分になって一生そのままって暮らしが好きなんじゃない。でも日本には下に責任も仕事もおしつけて自分は上に取り入るばかりのくずリーダーが多い国だ。もっと自分と向き合ってなりたい自分になるべく目標をもって生きて欲しい。
それで失敗しても人の話ししかできないようなくずよりよっぽどましだ。自分が何かに挑戦しては失敗ばかりしている話しだって結構聞いてて面白いし、傍観者人生歩んでるゴミ野郎より
よっぽど好きだ。
私は無力な人間ですが、有力な方々にお世話になった場合、素直にお礼の気持ちを述べます。決して,そういう方を知っているという下らない見栄からではありません。有力者の知人がいるからといって、違う個人ですからその人に力があるわけではありません。人の存在でしか自分を主張できないような人間は悲しい存在だと思います。有力な方につての言及をBENさんのように曲解されると、お世話になった方々への誠意を誤解され憤りを感じます。みんな人の話ばかりしていると言っているBENさんの文章も、人の批判に満ちています。
BENさんの実践人生を聞けたらと感じます。
benさんのコメント読みながら、全くその通りだなと同感してしまいました。
私自身は、20代でIT企業を退職して多国籍のNGOに入り、戦略的ものの考え方を学びました。
いまでは、巷にナポレオン・ヒルなどの成功本がたくさん出ているので当たり前ですが、30年前は、
まだ、目標を設定してから、その目標にむかってスケジュールを組み立てるという考え方は、
普及していなかったので、プログラムも中々普及しませんでしたが・・・
いくつかの区役所や危機に瀕してしまった村などで行われ成果を挙げたりもしていました。
日本の企業では、他人のことばかりが気になるようですが、
これは、何も日本だけでは、なさそです。
ダン・ケネディの本で、従業員は、他の従業員をみているが、経営者だけが顧客をみてうる。
という一文をみても、アメリカでも同様なようです。
要は、自分で志を立てて、自分の責任として全てを行おうとする人のみが、
起業家とか独立・自立したかっこいい人と言えそうです。
そういう人のみが、幸せというものを実感出来るのかも知れません。
幸せというよりも、自分の生き方に満足できるかどうかといった方が良いかもしれません。
仕事、遊び、家族、趣味、コミュニティーとの関わりを積極的にしようとしたら、
バランス感覚も必要かなと思います。
私自身は、過去に転職活動のときに、変わった経歴の方ですねとよく言われた。
まあ、20代でフランスの銀行に転職するか・多国籍NGOで海外に行くかという選択で
後者を選択したくらいだから、そう言われても当たり前かも知れない。
かといって、自分で選択したことに対して後悔は無い。
多国籍NGOで学んだことは、貴重な財産として今も私の内にあるし、
今のカミさんとも知り合って結婚できたし!
人が、死んでしまうのは、希望がなくなってしまったからというのがある。
成功者は、ほとんどの人が失敗者であったりする。
可能性や自分を信じ続けられたからこそ成功出来たのだと思う。
今は、私自身、母校の高校のキャリアスタディというプログラムのお手伝いをしている。
最近は、中学・高校で自分が社会人となった将来を見据えて高校の文系・理系志望を
考えさせる学校が増えてきている。
戦略的ものの考え方が浸透しつつあるのを実感するこの頃である。
生きるために働く。己を認めることができたときが幸せである。
〜これが、今の私の答えです。
それぞれに深く掘り下げることができますが、それは、またいつか…。
自己実現と幸福とは座標軸が異なる概念のような気がします。マズローについても欲求の段階的な分類をしているだけで、心理学的解釈論の一つと捉えるべきでしょう。
今の時代「云ってしまったもの勝ち」のようなところがあります。そんな時代にはアメリカ的な分析的・科学的(私は懐疑的ですが)と称する思考法が一番手っ取り早いのかもしれません。絶対的な幸福論(普遍的と言い換えても良いかもしれませんが)は存在しないのかも知れませんが、「幸福は常に他者との関係において成立する概念」ということには普遍性があるような気がします。
これは、人類の存在意義の定義でもありますね
仕事は、自己表現、自己実現のためのものであり、生活のためのものではない
そして、生活のために仕事をする存在が居なくならない限り、世界平和も、人類の幸福もこない
なので、資産家、何かしらの才能がある存在、研究開発できる存在、何かを生み出していける存在のみが子孫を残していけばいい
これこそが理想社会で、そのときに、資本主義でありながら、自動的に社会主義へと移行する
1994年から考え初めて、2008年には辿り着いた結論です
3)楽観的であること
4)外向的であること
内向的で心配性な自分には少しつらい言葉です。シャイというのとは違うけれど、一人でいることで、エネルギーを回復できるので、人と付き合う機会をできるだけ減らしたりしてますから。
私もできるだけ一人(またはパートナーとのみ)いることを好みます。親友と呼べる人は正直いないかもしれません。今はそれで満足ですが、今後長期的に見てどちらが良いのか?今が幸せかと言えば、そうでもないのです。
私の実家には天国行きの言葉としてトイレに張り紙があります。
ありがとう、感謝している、楽しい、嬉しい、ツイてる
???
学生の頃の自分は不思議でたまりませんでした。
ただ月日は経ち、現在、商売をさせてもらうなかでとても感じます。
それは毎日言葉を発することで、良い流れを引き寄せます。
好きなことをする。
やりたいことをやる。
自分の選択に責任を持つ。
これらに尽きるような気がする。
>究極の心の平和を望むなら…?
> あなたは何のために働いてるのでしょうか?
>
>実は、欲求五段階説で有名なマズローは
>「絶対的幸福というものは存在しない」…と述べています。
>
>つまり、幸福=欲求の充足と考えたとき、
>人は「完全な幸せ」に永遠にたどりつくことはできないということになります
>
>仮に”幸せ”と答えた人の特徴…!)~4)項目…参考に^^
さて…!!『幸せ捜し~~♫~~』
一つだけ…断言できます事は、過去の嘆き・悲しみ…の中にどっぷり~
浸って…いたずらに『時間だけが過ぎ去り…』
まるで…体が硬直して”石像”に~~~><あ~~~っいう間に人生が?
ここから、這い上がるには…
-->”楽観主義=ポジティブ思想”
-->わずかな”光”を求め~光の方向へ~歩いて行く!!
-->知らず知らずの内に…時間が…”しっかりとした、たくましい私が…存在”
『目標設定』明確にしまして…もう一度!!『幸せ捜し…』トライ!!
ありがとうございます…。 (SAKURA…)
やりたいことをやって
生活をしている今、
幸せなのかもしれません
ただ満たされれば、満たされるほど、
次の欲求が湧いていきますね
飽くなき欲求を満たし続けることが
また人生楽しいのかもしれません
これからの人生も楽しんで、
幸せな時間を過ごそうと思います
ありがとうございます
主体的に生きること。とても大事だと思います。
ありがとうございます。