
吉永賢一です
「謝る」というのは謙虚で素晴しいことですが
教育の現場では「謝らせる」ことが
必ずしも適切とは限りません。
なぜなら「謝る」ことによって
「本来やるべきであった対策」が
疎かになってしまったり、それまでに
既にそのような条件づけがされていることがあるからです。
そうなると「謝る」ことは
「本来やるべきであった償いの行為」からの
逃避になってしまいます。
このようなことを許し続けていると
事態は悪化してゆきます。
「謝ることによっての逃げ」の
うまみをますます体験しようとするからです。
だから、基本的にぼくは謝ったから
許すようなことはしません。
そもそも、本当の「許し」は
謝る前から与えられています。
人は誰かの「許し」を
必要とする必要もないのです。
もしそうならば、その人は
その「誰か」に依存しています。
「許さない」というのは、
感情的な反応であり、怒りであって、
そのようなものは指導者には必要がないものです。
ぼくがそれに失敗するとすれば、
それはぼくの未熟さの表れであって
生徒に原因があるのではありません。
あくまでも、
母性+父性に対してゆきます。
そして「謝らせる」よりも、
「何をしたか」を見つめさせる方が
多くの場合は有効だと思います。
批難の必要もありません。
相手を批難するのは、幼児化であって
相手が自分で考える機会を失わせます。
もちろん、相手が考える基礎を持っていないなら
そこに知識を与える必要がありますが、
一定以上の年齢になればその基礎は
もっている場合がほとんどです。
エネルギーはもらさずに
適切な経路へと誘導される必要があり
それが、指導者の大切な役割です。
「がんばります!」というようなことばも
「実際に努力する」ことの代わりになってしまって
エネルギーが洩れてしまうことがあります。
そのような人に対しては
「がんばります!」という発言も禁じ
規制することによって新しい構造を
内的に構築してもらいます。
エネルギーの発散を防げば
ストレスがたまり、いずれ
耐えきれない気持ちが内的に現れます。
指導はこのように一定の構造を持っており
関係性は段階的に変化します。
もちろん、構成的な指導ができるとは限らず
「単に質問に答える」という次元の指導も多いですが
それも生徒の役に立っていると思います。
特に、状態が良いときには
それでほとんど十分です。
謝ってばかりの生徒が、
謝ることをやめついに感情が現れてきたとき。
そこからが、チャンスです。
ー吉永賢一
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「謝る」って言葉は美徳のように僕らの意識に
刷り込まれていますが、
実際は己の行動の振り返りや何がどう悪かったのかの
判断能力を鈍らせる猛毒でもありますね。
これも、「がんばります!」の言葉と同じように
両親や学校教育の刷り込みの影響も大きいと思います。
僕ら人間は、多くの場合は悪い事をした時は決まって
怒鳴られたり、まくしたてられたりして、
本来なら行いを俯瞰して見れたり、道筋をたどれるような
賢い思考回路も持っているのに、
叱られた(健全でないやり方での)事への恐怖心から
防衛本能による感情が力強く働いてしまって、
「謝る」や「言い訳」の方向に道が逸れてしまって
事態が悪化したり、解決策が見えなかったり、
螺旋状悪循環に陥りやすいです。
時代は変わっても、
美徳は僕らの意識深くに根をはっている…
実に恐ろしい事です。
確かに、誤るのは、何故そうなったのかと、理解しないまま完結してしまう事がしばしばあると思います。
謝らせる事に視点がいき、誤った場合、優越感と共に、
お互いにとって上下しない関係になって、しまう気がします。
生きるとき、基準が必要です。怒られられそうだから、取り敢えず謝るでは、駄目だと思います。反省すべきことが在るならば、その行いは止めるべきです。そして、感謝して示された行ないをする必要があります。