
吉永賢一です。
今日のエントリーでもある
「自分にとって大切な人のしあわせを考えて、
考えて、考える」
これは、ものすごく大切なことだと思います。
こうやって考えてゆくと、
時間が不足していることも
そして自分の能力が不足していることも
すごくよくわかってきます。
そして、自分にとって大切な人の
しあわせを考えることは
とってもしあわせです。
一方、自分にとって大切とは
思えない人のしあわせをムリして考えても、
不幸な感じがします。
相手にエネルギーを吸い取られて、
それだけのような感じです。
報われません。
自分にとって大切な人のしあわせを考えていると、
自分の能力が不足しているから「本当に考えよう」と思ってゆくと
身近な大切な人のことを考えて、精一杯になってきます。
そして、精一杯だと
それで心が満たされるからしあわせです。
でも、そんなものなのだと思います。
相手の気持ちは、
本当にはわからない。
でも、わかろうとすれば
わかろうとしないよりはわかります。
何に苦しんでいて、
何を欲しているのか。
それを、一生懸命に知ろうとします。
しかも、
「こんなに(相手のことを)考えているのに」と
思ってしまっても、やっぱり終わりなんです。
あくまでも、
「俺は自分のことを考えてばかりだ」と思って
相手のことを考えようとしてゆく感じです。
相手のことを考えるのも、
やっぱり自分がしあわせになりたいからだし。
その人の喜ぶ姿を見ることが
実際にしあわせだからです。
自分が先生だったら、
生徒さんのしあわせを本当に考える。
自分が生徒だったら、
先生のしあわせを本当に考える。
自分が親だったら、
子供のしあわせを本当に考える。
自分が子供だったら、
親のしあわせを本当に考える。
自分がお客様だったら、
お店の人のしあわせを本当に考える。
自分が商売をしていたら、
お客様のしあわせを本当に考える。
自分に恋人がいたら、
恋人のしあわせを本当に考える。
自分に友人がいたら、
友人のしあわせを本当に考える。
なかなか、「本当に」ってできないし、
でもできないからこそ、ここを意識的にやってゆくと、
すごく成長があると思います。
そして、相手のことを考えることに
慣れてゆくとしあわせが増します。
一方、なれることで「考えてる」って思っちゃうと
傲慢さが出て押し付けがましくなっちゃうし、
しかも、実際には観察が不足して、
相手のことを見なくなってたりするし、、、
本当に「観察」っていうのは、
きっと限りがなく深いんだと思います。
ー吉永賢一
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私は世界平和をよく唱えてました。
それ自体はこれからも変わらないでしょう。
ですが、私を思ってくれる身近な人、例えば親や友人、大切な人たちを真っ先に幸せであるように願うと共に時間や抱えるすべてを共有していきたいですね。
それぞれが本心からそう思う事で、結果として世界平和に繋がりますからね。
妬みや優越感、そのような感情は不要です。
本来、人間は素晴らしい生き物だと思ってます。
哀しきかな、人はいつの時代も争い、優劣を競い、力なき者を罵倒し、肩書きや地位で評価してしまいがちです。
本当に大切なことは、人としての成功ではないでしょうか。
内面ですね。信頼や優しさ、強さ、知性や深淵さはすべて内面です。
幸せを分かち合える関係は大切ですね。
失礼致します(^-^)
いつもありあがとうございます。意識の中では人のためにと思ってはいますが現実は自分のことばかりを考えていることが多いです。冷静に現状を直視してみると人のためにと言っているだけで具体的な人をあげてないのが原因ではないかと思いました。当初は私に関わる方と思いましたが これは非常にあいまいな考えであることに気づきました。具体的に誰を どのように と具体的に意識して実践していきたいと思いました。ありがとうございます。
息子はまだよちよち歩きの頃から虫の観察が大好きでした。それが、発展して虫の名前を覚えることが大好きになりました。さらにそれが発展して、植物やあらゆる動物の名前を覚えることが好きになりました。次は、動きを観察し始めました。次は、人間に興味を持ちました。今では、人の心理にとても興味があります。彼は、次は何を観察するようになるのか、母親の私は楽しみに見守っています。そして、私の場合は、やっと記憶がある頃から、自分が何かをすることでその人が笑顔になってくれることが大好きでした。幼い頃病気をしていた時には、母やお医者さん看護婦さんが笑顔になるために注射をしても泣きませんでした。小学校での運動会、優勝することでクラスメイトの笑顔を見ることができました。中学では、賞状の一枚もないクラスに優勝と書かれた賞状をもらい、みんなで笑いました。銀行員時代は、早く変えることができるように計算係の仕事をすることができました。短大では笑顔に疑問を持った時代でした。結婚後の妊娠悪阻と不育症の期間は笑顔がなくなりました。そして、今、子供達が笑顔になり大きな心を持った大人になって、未来で笑顔でいられるように、日々の活動(?仕事)に打ち込んでいます。こんな私にしてくれた約5年前に知り合った師は、私を笑顔にするために、本当に考えて観察してくれました。その本気が日を増すごとに分かります。だから、今の私は、大切な人を次々に作って、その人と本気で接しています。毎日が幸せでいっぱいです。
新鮮な気持ちで、思い込みを排除して、ありのままに観察すること。意識してみます。
幸せを増したいから。