責任=コントロール

起業家
小川忠洋

From:小川忠洋

責任=コントロール
コントロール=責任

これは、僕のメンターのひとりである
ダンケネディが常々言っている言葉だ。

「人生を自分の自由にコントロールしたければ、
それに対する全責任を負うことだ」
と。

逆に責任を負いたくなければ、
自分の人生をコントロールする事も
忘れなければいけない。

この原則はこのメルマガを読んでいる
あなたや僕にとってはごくごく当然の事だと思う。

何故なら、僕らは自分の人生の責任は
自分で負うものだと思っている。

だからこそ、自分の自由に
コントロールできるのであり、
自分の好きなことができるわけだ。

一方、世間にはそう思って
いない人もたくさんいる。

自分の今の状況は何かのせいだと。

これはちょっとTVを見れば
すぐに感じる事ができる。

彼らは自分の責任を誰かに背負わせている。

例えば、親であったり周囲の人であったり
政治家だったり上司だったり環境だったり、、、

彼らは、自分が何かの犠牲者だ。
と言う意識を持っているので、
同時に自分は人生をコントロールできない
という事を自分に刷り込んでしまっている。

「あいつのせいで・・・」
と思いが頭をかけめぐると同時に

「自分にはコントロールできない・・・」
という意識が刷り込まれる。

僕らは、そうではない。
あなたはそうではない。

「これは自分の責任だ」
と自分に言い聞かせれば、同時に
「自分が全てコントロールしている」
という意識が刷り込まれる。

もっと自分の人生、自分の仕事
自分の収入などを、コントロールしたければ
もっとそれらに対して責任を取る事だ。

-小川忠洋

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6 thoughts on “責任=コントロール

  1. 全ての結果は、自分が選択行動してきた結果、
    自己責任である。

  2. 人生が自己責任と言えるのは、愛情たっぷりの恵まれた家庭環境でのびのび育った人の考えです。
    機能不全家庭で奴隷のように、邪険に扱われて、愛情の欠片も与えられない環境で育った人に、そのような意欲はありません。なぜなら、まともな環境で育った人と同じように生きるのが困難なため、それだけで精一杯だから、自分の人生を自分で創造してなおかつ責任をとって生きようなどとは、夢物語。家庭環境が悪い中で育った人にそういう考えが受け入れられるのは、その人が桁外れに強さを持っているか、家庭環境以外はすべて恵まれていたかのどちらかでしょうね。
    愛情いっぱいの家庭で育った人には、その逆が想像すら出来ないのですから。

  3. 自分の人生のハンドルを離さない。放り出したくなる時もあります。でも、必死で握っています。自分の行きたい方向へ。目の前1メートルが見えてさえいれば、行ける!と信じて。

  4. 今の日本の社会、会社の多くは、
    責任=コントロール
    コントロール=責任
    ではないようです。
    コントロールを管理者、監督者と捉えると、このようにはならず、
    問題を起こした者が責任をとり、管理・監督者は、悔い改めるだけ
    が実情のようです。
    なぜこのようなことがまかり通る日本になってしまったのか・・・・・
    わかりやすい事例でいえば、会社が赤字でリストラする事態になれば、
    従業員を解雇し、役員は、退職金をもらって辞任・子会社に転籍。
    これが責任の取り方なのか疑問に感じるのは、自分だけでしょうか?
    いつから、責任のとらえ方が変わってしまったのでしょう・・・・?

  5. ほかの人のコメントを見ていたら自分の解釈であっているのか心配になってきた

    自分の解釈
    ここの記事で言っていることは「どんなこと」であれ、「コントロールしたい」と思ったら自分が結果に責任を持つことが”必要”(←十分ではない)、
    「責任を持ちたくない、または責任を持つことが不可能」(←レッテルが強すぎることも不可能の理由に含む)ならば、コントロールしようとしてはいけない

    人生が自己責任と言えるのは、愛情たっぷりの恵まれた家庭環境でのびのび育った人の考え
    「コントロール=責任」と「人生≠自己責任」とは矛盾しない
    →自分の人生の責任は「家庭環境」や「親」にあるので、「自分」では人生をコントロールできない。
    自分の人生に責任を持つことは(たとえただのレッテルだったとしても)不可能なので人生をコントロールしようと考えてはいけない
    問題は「責任転嫁」や「誰かに責任を着せる」というのがここの文章では悪であるかのように書かれていること

    コントロールを管理者、監督者と捉えると~いつから、責任のとらえ方が変わってしまったのでしょう・・・・?
    「会社の赤字の責任」を持っている人は「会社の利益(赤字黒字)をコントロール」している人なので、「責任=コントロール」で矛盾しない
    責任のとらえ方が変わったと感じるとしたら「責任を取る=被害をこうむる」というイメージのせい、
    管理者、監督者は「(会社を黒字にするために)従業員をやめさせる」という責任を負っているし、自分の被害が少なくなるようにコントロールできる
    従業員は「辞めさせられる」会社の赤字の責任を負っていない(会社の赤字は役員の責任)ので自分の被害をコントロールできない

    従業員は「被害をこうむる」けど「責任を取る」ことはしていない
    「管理者≠被害をこうむる」ならば「コントロール=管理者、監督者=責任」は矛盾しない
    問題なのは「責任を取るために必ずしも自ら被害をこうむる必要はない」という考えは、「被害をこうむる側の人」には受け入れられないこと

  6. 私は相場をやっているのですが、これは全て「自分の金」で「自分の決断」でやりすべて
    「自己責任」でやっていますが、日本の証券会社はこれを理解していないと常に感じています。「自己責任を理解していない人が如何に多いかを感じます。会社に勤務する従業員としては月間200万の売上だった市場を5000万、年間だと2400万を約6億円に自分が新規開拓した得意先で上げても給料は上がりません。オーナー社長の会社でない限りは、会社の社長が自ら責任を取るのはよほど社会問題としてマスコミに取り上げられたレアなケースを除いてかなり少ないものです。コロンビア、ブラジルやアフリカ、中東などの危険地域でも出張へ
    いき体を張って売上を上げてきましたが、会社での昇進も全く実績がなくても社長へいくケースは多々あり、責任を全うするという立派な経営者などはかなり少ないものであるから
    自分が独立してやっていけるだけのものを習得するほうが望ましいと思います。ただし、自分がそれなりの資産を築けばサラリーマン社長くらいとは喧嘩をしても勝てる実力は得られます。責任を取らないものにはそれなりの報酬を得る資格はないし、また得ることもできない。

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