FROM 岡崎哲也
あなたはある時期になると
思い出すストーリーってありませんか?
やっぱり12月は忠臣蔵でしょ!
みたいな。(^^)
そこで以前、テレビで感動して、今の
時期になると思い出すストーリーを
ご紹介しますね。
1940年、東ヨーロッパのリトアニア。
当時の日本領事館は数百人の群集
に取り囲まれていました。
それはナチス・ドイツから逃れてきた
ポーランドのユダヤ人難民でした。
前年の1939年に第二次世界大戦が
勃発、全ヨーロッパはナチスに制圧
されていました。
ユダヤ人狩りから逃れる方法は
ソ連→シベリア→日本経由後、
米国や第三国に渡る道しかなく、
日本の「通過ビザ」が生死を分けた
のです。
杉原千畝領事代理はビザ発行を外務省
に判断を仰ぎましたが、当時日独伊同盟
の関係から【不可】の回答でした。
難民は必死にビザの発行を訴え
続けました。
杉原さんは悩みました。
「難民を救うべきか、ビザを出せば
クビになるかもしれない」
そしてついに領事館の門が開いた瞬間、
難民から大歓声が沸き起こりました。
杉原さんはくる日もくる日も手書きの
ビザを書き続けます。
そして外務省から「早く領事館から撤退
せよ」との指示が届きましたが、無視して
リトアニアに残り、ビザを書き続けました。
いよいよ撤退の為、ベルリン行きの国際
列車に乗り込みましたが、杉原さんは
窓から身を乗り出してビザを書き続けた
のです。
そして最後に、言いました。
「ごめんなさい。私はもうビザを書く
事ができません」
杉原さんが書いたビザは合計2139枚、
家族兼用の旅券が多かった為、脱出
できたのは合計6000人にものぼった
そうです。
彼らはシベリア鉄道などで大陸横断
し、船で日本に渡り米国へと逃げて
行きました。
1945年、8月日本敗戦。
杉原さんは、ソ連収容所に抑留され、
2年後に帰国、外務省に復帰しました。
ところが突然、独断でビザを発行
した責任から解雇通告されたのです。
以降、占領下の貧困と混乱の中を
生きていくことになったのでした。
その後、「命のビザ」は歴史の中に
埋もれようとしていました。
それから数十年後、イスラエル大使館
から杉原さんへ1本の電話が入りました。
イスラエル大使館の参事官が28年間、
杉原さんを探し続けていたのです。
そしてボロボロになった紙(杉原ビザ)
を見せ、感動的な再会を果たしたのでした。
その後、その行為は世界中から賞賛
されます。
杉原さんは、
「私はやるべき事をやっただけです」
と語ったそうです。
杉原さんが、ビザ発行する時、家族の
不安がありながらも、クビ覚悟で国の
命令に背いてとった勇気と行動力には、
敬意を感じます。
同じ状況になった時、自分はどのような
行動ができるのだろうか?
そして「命のビザ」によって多くの命が
救われたことに、命の尊さすら感じます。
杉原さんのような方が日本人として
いてくれた事に深く感謝し、日本人
としての誇りを大切にしていきたいと
この時期になるとこのストーリーを
思い出すんですよ。
岡崎哲也
PS.
私のやるべきことはメンタルブロックの解放です。
http://www.nextleader.jp/okazaki/money/
己の信念に基づき、やりたいからやった、やらずにはいられなかった。例え小さな事でも、無私の心で私も杉原さんのような行為を行いたいと強く思いました。感動です。
幾度聞いても・・・本当にすごい話ですよね。
自分が杉原さんの立場だったら同じことができるかどうか・・・
以前、旅行会社に勤めていましたが、イスラエルからくる団体客は必ずと言っていいほど、杉原千畝記念館に行きます。
せっかく生まれて人間として生きるのだから、自分も、究極の場面ではどうか杉原氏のような選択のできる人間であれたら、と感じていますが・・・
コメント、ありがとうございます。この話しにはまだ続きがあります。ウッキペディアより
2011年、3月11日、東日本大震災が発生し、地震と津波による甚大の被害が世界中に報道されるや、内外のユダヤ人社会から、第二次世界大戦時にユダヤ難民の救済に奔走した杉原の事績を想起すべきとのアピールがなされた。
3月21日、イスラエルの有力紙『エルサレム・ポスト』は第二次世界大戦中、「在リトアニア日本公使、チウネ・スギハラが、訓令に反してビザを発給し、6,000人のユダヤ人を救った」ことに注意を喚起し、「在日ユダヤ人共同体が協力し、すべてを失い窮状にある人々の救済を始め、在京のユダヤ人たちは募金のための口座を開いた」と報じた。
東日本大震災によって被災した人々に対する義援金を募るにあたり、米国のユダヤ人組織であるオーソドックス・ユニオンは、会長のシムカ・カッツ博士と副会長のスティーヴン・ヴェイユ師の連名で、以下のような公式声明を発した。
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窮状にある人々に手を差し伸べることは、主のいつくしみの業に倣うことである。1940年、杉原領事夫妻は身職を賭して通過ビザを発給し、6,000人のユダヤ人の命を助けて下さった。いまこそわれわれがその恩義に報いるときである。
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