サイクルの完結について

吉永賢一

吉永賢一です。

たぶん小学校1年生のときに読んだ禅の本の中に、
こんな問答があったと思います。

弟子:悟るには、どうしたらいいんですか?

禅僧:ご飯を食べたら、お茶碗を洗うことだよ

(たしか、有名な禅僧で、本には名前が出ていたと思います。
当時、ぼくは人名を覚えることに、さほど興味がありませんでした。)

この問答の意味がわからなくて、
その興味は今にまで継続しているわけですが、
ぼくの中でまとまってきた概念は
「サイクルの完結」ということです。

はじめ → 途中 → おわり

「使ったものは、もとに戻す」

でも、もとに戻すのなら、
すべてはもとに戻って
痕跡がないのが良いということ?

痕跡がない(no trace)のがいいのなら
なぜ存在するのか?

食事の場合は、外界の存在は復帰させようとしても
自分の中には食べ物が入り、同化され、排泄されるだろう。

「食べたものを吐け」とは言わない。
その違いは何なのか?

十二縁起なんかでも「有」が出てきます。

生まれたら、死ぬ。
入ったら、出る。
吐いたら、吸う。

さまざまなサイクル。
はじめ、途中、おわり。

何が未完結で、何が完結なのか?

そして、その「完結」も、
より大きな「サイクル」から見れば「途中」になる。

小さなサイクルを閉じると
より大きなサイクルからの「視点」を得る。

こんなことを、考えたりしてます。

ー吉永賢一

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3 thoughts on “サイクルの完結について

  1. 全ての人間をはじめ宇宙や存在物は、授受し、回転運動し発展する原理の法則があります。

  2. 全部のことは100%完璧に帳尻が合わせられる・・とか、原因結果の法則とか聞いたことがありますが、それでしょうか・・
    生死で考えた場合、「途中」とは輪廻転生で魂の成長段階にあるということでしょうか。
    私もまだまだ様々なご教示頂く必要がある成長途中です。

  3. まだ頭で考えちゃってますね(笑)
    そこから離れること、頭で考えるのではなく自然に生きることを諭しているんですよ。座禅もそこに意味があります。
    目の前のことをきちんとやって執着から離れることです。
    お茶碗にも洗うことにも実は意味がありません。

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