詐欺師症候群

ogawa02

From:小川忠洋
西宮の自宅から、、、

今日は、面白い言葉を発見したので、
それをシェアしたいと思う・・・

詐欺師症候群」と言うものがあるらしい。
英語で言うと、インポスターシンドローム。

これはある程度、社会的に成功した人に
見られる症状だそうだ。

どんな症状かと言うと、
自分の功績や成功を自分の実力のものだと
信じる事ができなくなる
状態。

今までの成功はただ単に
運が良かっただけで、本当は自分には
実力なんかないんじゃないか?
と言う疑心暗鬼になってしまう症状の事だ。

そして、いつまでたっても
自分に自信が持てない。

あなたも、今まで見かけた事は
ないだろうか?社会的には成功しているのにも
関わらず、何だか自信なさそうに
振る舞っている人を・・・

日本では、文化的にというか
習慣的にあまり個人の成功を讃えない。

それよりも、成功しても、
謙虚で、それを自分の実力だと
言わない人が尊敬される。

「○○さんは、こんなに業績を上げて
 スゴいですね。」

「いやいや、運が良かっただけです」

と言うような会話が、
日本人の典型的な会話だ。

しかし、この詐欺師症候群の
観点を加えてみると、、、

「運が良かっただけです」
と言うふうに言うのは必ずしも
いい影響があるわけでもなさそうだ。

当人が、自分自身に
絶対的な自信があるのなら、
どんな言葉を言っても揺るがないだろう。

しかし、まだ自信がついていないなら、
「運が良かっただけです」とか言うのは、
変な自己催眠を自分にかける事に
なるかもしれない・・・

あなたはどう思う?

僕は、こう思う。

ほとんどの人は、
必要以上に自分を卑下している。
だから、これ以上、自分を下げるような
言葉や考えを使うのはどうか?と思う

日本語には”謙譲語”という丁寧語がある。
これは、自分の行為を下げて相手を上げる
という言葉だ。

そんな言葉の使い方があるなんて、
やっぱり日本人は自分を下げる傾向が
あるんじゃないかな?

それって自分自身に
いい影響を与えるのだろうか?

あなたのコメントを待ってるよ。

-小川忠洋

PS:
どうすれば、揺るぎない絶対的な自信を得られるだろうか?
これを聴いて、考えてみるのもいいだろう・・・
http://www.0stresslife.com/zrl/

17 thoughts on “詐欺師症候群

  1. 話すこと=放すこと=離すこと
    だと思っています。自分が成功したことを話すことによってその成功を離してしまう、そんな気がしています。
    だから上手く行っている時、人に話したくなっても我慢しなくてはいけないと感じています。
    また少なからず人は他人の成功を妬みます。妬みは、成功している者へ、今度は失敗するように願ったりします!(^_^;)

    なんとなく負の連鎖だと感じてしまいます。

  2. まさに私がそうですね。ほめられても一種の居心地の悪さを感じてしまいます。
    運が良かった、ラッキーだったって言ってしまいますね。
    でも考えてみたら、お客様のために一生懸命やってることは確かですから、
    もっと自信もっていいのかなと今日これを読んで思いました。

  3. 2009年12月18日によそでアップされた際に
    面白いことをコメントしていた方がいたので転載します。

    マッケンロー
    2009 年 12 月 20 日
    日本では国語の授業で敬語を教わることはありません。唯一敬語を学べるのは古典からです。源氏物語など。本来主語に敬意を払うのが尊敬語で目的語に敬意を払うのが謙譲語です。しかし、現代語の敬語は自分を卑しめる事で相手を上げるという軍国主義の名残のようなものがあるため、国際的に認められないことが背景にあると教わりました。だから大人になっても正しい敬語を使えない人が多いようです。

  4. 自分自身にいい影響を与えるコトバ・思考を選んで生きていこうと決めたところです。他人様に関しても。
    コミュニケーションは、相手に気持ちよくなってもらうため。だから、時に自分がへりくだる時もあるだろうなぁと思います。おかげさま精神も、私は好きです。

  5. どうして上手くいったのかを検証することも大切な気がします。悪いときは検証することが多いですが、結果が良いときも検証することで、これだから上手くいったと思えれば自信につながると思います。

  6. やはり、日本人として自然と謙遜をしてしまうのでしょうか?!笑
    それは、良いことでもありますし、あまりにも卑屈に自分を下げ過ぎなければ適度にしても良いんじゃないでしょうか?^ ^

  7. 小川忠洋氏にしてはやや、お粗末な記事ではないかと案じています。
    「絶対的な自信」を持てる人は極めて稀でしょう。
    「絶対的な自信」がいつまでも持続するとは限りません。
    「慢心は没落の始め」という例は枚挙に暇がないようです。
    成功談を言いふらすようではまだ、「青い」気がしますが、、、。

  8. 成功したのは、確かに運がよかったのかもしれない。
    でも、その運をつかむまでの行動をした自分は本当なのだから、
    何も卑下する必要はないと思う。
    素直に喜んで、そこまで成功した自分をほめてあげていいと思う。
    それは今までの考えが間違っていなかったということ。

    でも、挑戦する人が失敗が多いのも事実。
    失敗が成功の元になっていることもある。
    結局、人生が成功したか失敗したかは死ぬ前にしかわからないと思う。

    ただ成功したように見える「こと」、失敗したように見える「こと」があるだけ。
    自分がよいと思うことをやっていくだけ。

  9. 私は、いい影響は与えないと思います。
    謙譲語のような文化があるのはいいことと思います。でもそれは敬意を払うべき相手に対して敬意を示す手段であって、いつでもだれにでもその考え方で接する必要なないと思います。
    僕も少し前までは謙ることばかりしてきました。周りの顔ばかり気にして。気付いたら自分になにができて、なにがしたいのかよくわからなくなっていました。
    今はこのメルマガなどを読ませてもらいながら、少しずつですがそれらをとりもどしつつあるように思います。
    以前より、とても気分が楽です。毎日の充実感が違います。
    昔ながらの文化・習慣とはいえ、変わるべきところはどんどん変わっていくべきと思います。
    謙虚でマイナス思考の人より、謙虚でプラス思考の人がたくさんいた方がよりいい日本になると思います。

  10. 褒められると、「私はそんな対したことしてないよ」と思ってしまいます。さらによくないと分かっているのですが、褒められないような行動を探そうとする自分がいるのです。こういうとき、「これはあかんあかん、素直に褒められたことを喜ぶ」と言い聞かせるのですが…。褒められることに慣れてないからこういう感情?になるのかな、と思います。もしくはセルフイメージの問題かな、と。

  11. 日本人は他人の成功を喜ばないと言います。
    日本のスターは儲けいることを隠します。
    アメリカでは、多く稼げていることを自慢します。

    日本は嫉妬の文化だと言われます。
    嫉妬を買わないように気をつけることが、上手に世渡りするコツです。
    イチローほど努力していることが、周知の事実になれば別ですが、
    サラリーマンや経営者がどのくらい努力しているかは外からは見えません。
    ですから、自分の努力ではなく運だと言っておいた方が無難です。

    成功している人は、運だけで成功するものではないと、分かっています。
    成功者が今後も付き合いたい人はそのような成功者です。
    ですから、分かってほしい人は分かってくれているのだから、自分の成功は運だと言っておけばいいのです。

  12. ある程度、社会的に成功した人に起こるという前提で3つの要因にわけて考えてみます。

    1つめは組織がうまくいくと、仕組上での財務戦略(社長でない場合が多い)によりビジネスが発展する場合が多いと思います。その他にも、本質をとらえた右腕による効果など社長自身が自分の強みだけを伸ばせばどんどん前進していく要素が多くなるからだと感じます!

    2つめは、社長を褒める人は社内にいない!(お世辞は多いかもしれませんが)
    部下を褒めても上司は褒めにくいものです!やはり、仕組みにより自分の得意分野でない部署での業績UPなど、明らかに自分がいなくても機能していることに違和感を感じる時が来る!
    通常は大丈夫ですが、社内での信頼する人間関係に少しでも疑心暗鬼が起こった際に、自分自身で何でもやって成功してきた下積み時代の記憶と無意識に比較し何でもやっていない現在が不安になるのかと・・・。

    3つめは、その過程で自信をなくしている時の謙譲語によりセルフイメージが下がるのかと・・・。
    普段は謙譲語で話していても自信家という人は平気でしょうが・・。

    まとめてみると、成功して自分がいなくても組織がまわりだした際に猛烈に挑戦したいことなどがない場合は、今までの人生での頑張りにホメオスタシスがはまっているので、自分が全力でなくてもうまくいく現実にホメオスタシスが違和感をプレゼントしてくれているのではないかと・・・。
    脳は単純に成功しているのに、違和感だらけの感覚で成功したという実感がわかなくなり自分自身で自分の必要性が腑に落ちなくなるのかと・・・。

    長文読んでいただきありがとうございました。

  13. 「実ほど 頭を垂れる 稲穂かな」 という有名ばことわざがあります。

    努力して実力がつき、結果を出せる。でもそこで慢心しては、その後坂道を転がり落ちてしまう。

    勿論、ご自身の頑張りと努力があり結果を出したのですが、応援してくれる周囲の皆様あってこその結果だと感謝する心、まだまだ上(うえ)やもっと大きな目標があり、精進する必要がある・・・という意味で、自然に謙遜される方もいると思います。

    それが、日本人の「品格」ではないでしょうか?

    本気で自己卑下するのとは違うと思います。

  14. どんな言葉も考え方も、人によってもたらされる効果は変わりますので、答えはひとつではないと思います。
    特定の事例をあげて、答えが1つしかないように煽る人こそ、詐欺師のような気がします。
    我々は、日本人です。「運が良かっただけです」「おかげさまです」と言える崇高な民族です。
    私は、上手くいったときほど、相手や世の中や先祖に感謝する気持ちを大切にしていきたいと思います。

  15. いつも為になるお話をありがとうございます。確かに日本語には謙譲語があり、かつ、日本人は、会社であれ学校であれ、先輩後輩、上司部下といった、軍隊を否定した国なのに、会話での言葉づかいには、強い上下関係が明確に分かるルールが存在します。これって、年々序列なのですよね。英語文化圏では、兄弟姉妹では、互いを名前で呼び合い、にいちゃんとかねえちゃんという目上を意味する言葉は、日常生活ではでてこないのですが、日本人はそこが強いですね。また、夫婦でも子どもが生まれると、家族の中の役割名称で、夫婦は互いを呼び合う、「お父さん」と自分の父親と同じ呼び方。これも英語圏にはないこと。この不思議な役割タイトルの日常的存在は、相互の依存関係を重要視したものとも解釈できるが、個人としての主体性や自立性をも、同時に、認めたがらないという潜在的な集団心理が作用しているのではなかろうかと、考えました。どなたか、ご意見を下されば有難いです。

  16. こんにちは、サンフランシスコに留学中ですが、アメリカの言葉や風潮に慣れてきた頃、自分もその事を思いました。自分も日本では自分を下げて上目遣いで人と接するように教育をされてきたし、それでも日本にいる頃は(まだ学生だったので)そのコミュニケーションでうまく行ってたので、随時 「紳士たるものこうであるべき」みたいに思っていましたが、やっぱり。自信もってる人が成功する社会であまり謙遜しすぎる習性は危険だと思いました。

  17. 言葉は自分の人生を変化させていく!
    たしかに自分を下げる言葉を使えば、たとえそれが謙譲語でも、その分自分自身が下がってしまう!
    それは事実だと思います!

    だからこそ日々頑張っている自分をきちんと評価してあげる必要があるのではと、私は思います!

    貴重な学びをありがとうございました!

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