聖書について

吉永賢一

こんにちは、吉永賢一です。

世間はクリスマスです。
クリスマスツリーを見たからでしょうか。

聖書について書きたくなったので、
書こうと思います。

マーケティングの勉強をすると、
こういうブログなんかでは、
「受け入れられやすいキャッチーな話を」
なんて出てきますが、
もう最近は、そういうのが面倒くさい気持ちです。

なるようになるから、もういいよ、
という感じで書きます。

ぼくは、小さいときから聖書を読んでいます。

何度も読みました。

そのきっかけは、たぶん、
キリスト教の布教活動だと思います。

テレビでもキリスト教のアニメをやっていましたし、
学校に行く道で、子供用の聖書をプレゼントします
というハガキをもらって応募して
子供用の聖書を読みました。

そこに、何か尊さを感じたから読んだのだと思います。

関心があったので、子供の頃、
教会のクリスマスパーティに行きたいと思い、
母親に頼んで、教会に連れて行ってはもらったのですが、
なんか気分が乗らずに、参加できませんでした。

教会はキリスト教の本場という意識があったから
行きたかったのですが、ぼくが想像していたのとは
違う感じだったので。

ぼくには、原典主義的なところがあるので、
子供用の聖書だけでは不満があり、
当時一般的とされていた日本語エディションも書店で購入しました。

聖書には、旧約と新約とあるのですが、
新約を好んで読みました。

おそらくは、新・旧とあれば、
新しい方が、刷新されてより価値があると思ったのだと思います。

あとは、「旧約の神様は厳しい、
新訳のイエス様は愛だ」のようなことを聞いて、
優しそうな方に心が傾いたこともあったでしょう。

さて、そこで新約を繰り返し読みました。

イエス様に関心があったので、
特に繰り返したのは福音書です。

1000回どころではありません。

文字通り「経典」ですから、
とにかく読み込んでみました。

それで、思ったことは
わけがわからないということです。

さすがは「経典」です。

ところで、わけがわからないとどうなるでしょうか。

人は、わかりやすい説明を探します。

ということで、解説書が山のようにあります。

しかし、それにしても、
イエス様の教えは厳しすぎます。

たとえば、右のほほを打たれたら、左のほほを出せ、
のように書いてあります。

イエス様は、さすがに言っただけあって実践し、
磔になって、手にクギをさされて、
痛い思いをして死にました。

それを勝利と呼びます。

もっとイエス様に超人的な奇跡を期待していた人は、
超常現象でも起きて、イエス様が磔から抜けることを
想像したと思いますが、そうはなりませんでした。

苦しんで、血を流して、
喉を渇かして死んだのです。

たしかに、ぼくにも修行者的な傾向があるので、
それを勝利と呼ぶことは理解できますが、
ぼくには、世俗的な側面も強いのです。

そんな実践をするには、
戦慄が走ります。

でも、教会にいて歌っている人たちは、
なんだか楽しそうです。いいな。

他に新約聖書で出てくる話ですごいのは、
寄進についてです。

収入に占めるパーセントが高いほど良いと書いてあります。

100%がベスト、そう書いてあります。

どう考えても生活できません。

そんな実践、できますか。

ぼくはやったことがないです。

やっている人は凄いです。

狂信者、原理主義者、
経典理解を勘違いしている、
洗脳されている、などと言われるでしょう。

こういう聖書を読んで、

「イエス様は愛の人、私たちの罪は赦されました、わーい」

と言っていますが、よくわかりません。

ぼくの読解力が低すぎるのでしょうか。

教会内では、別個の解釈が流通してるのでしょうか。

また、その場で一番弱い人の味方をしなさい、と書いてあります。

こんなことも、できるはずがないのです。

「やっています」と自称している人には会ったことがありますが、
ぼくの目には、勘違いに見えました。

お財布からお金を抜き取る人がいたら、
全部あげてしまえば良いのです、のようなことも書いてあります。

まったくムチャなことです。

でも、それが神の国への道であり、
その道の入り口は、とてもとても狭いんだよ、と書いてあります。

「確かにそうだ、狭すぎる」とぼくは納得しました。

つまり、ぼくは原理主義者的な思考をすると思いますが、
だからこそ、数学の成績が良かったのだと思っています。

メリー・クリスマス。

ー吉永賢一

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19 thoughts on “聖書について

  1. おはようございます。いつも吉永さんのブログ、配信を読ませて頂いてます。今回の聖書の話はただ、すごいな、できないな・・・という感想です。自分では実行できる気がしないので深く考えたくないな・・・と感じました。少なくとも今は自分ができる範囲での貢献に集中したいと思いました。

  2. 吉永さん、イエス様の言葉は比喩であり、私達に非常識と思えるような厳しい事は求めてはいらっしゃいません。
    聖書の言葉は頭ではなく、霊魂が理解させてくれるのだそうです。
    プロテスタントの教会のメッセージは聖書の内容に沿った物になっているので、理解を助けてくれると思います。
    吉永さんにイエス様の導きがありますように。
    「求めなさい。そうすれば与えられます。」ですね。

  3. 吉永 賢一 さま

    おはようございます。
    お世話になっています、坂井と申します。

    「聖書について」を拝読しまして。

    >聖書について書きたくなったので、
    >書こうと思います。
    >
         :
    >もう最近は、そういうのが面倒くさい気持ちです。

    自分の心や気持ちに素直に、正直に進める事が
    結局、良いものを生み出す事につながると考えます。
    「心のままに」

    ただ、「面倒くさい」という部分については、
    修行的見地からすると、その場面/状況こそがチャンスであり
    「面倒くさい」を乗り越えた先に
    少しかもしれませんが成長した自分が存在すると思えます。

    >なるようになるから、もういいよ、
    >という感じで書きます。

    ある意味、覚悟のようなものであると考えられます。

    クリスマスについては、
    キリスト教徒や、キリスト教に興味、関心がある人にとっては
    1つのイベントだと思いますが、
    そうでない人にとっては、本来、あまり関係が無いものだと
    私には考えられます。

    世の中のクリスマスムードに対して
    自分の考え無くして
    なんとなく乗ってしまっている
    なんとなく流されている
    という事があるのかどうか
    1度考えてみるのも悪くないと思います。

       平成25年12月12日(木)
          坂井 真

  4. 経典だから1000回以上読み返す。さすが、吉永さんはスケールが違いますね!敬虔なクリスチャンではありませんが、折に触れ目や耳に聖書のコトバが入ります。理解するより、助けられています。実用的だと思っています(笑)

  5. おはようございます。

    ・私は旧約聖書から。 温故知新

    ・教典を何回も読んで解らなかった事が解った!
     成功ですネ。(エジソンと同じ)

    ・イエスの、「無茶な要求」をのむ事が出来るのは信じていれば出来る。
     オウムでも、9・11でも迷うことなく指示通りに人殺しや、自爆テロ行為が出来る。
     それが幸せに繋がると信じているから。鰯の頭でも信じたら有り難く拝む。

    ・弱い人を応援する気にはなれない。自己鍛錬の出来ない人は、自業自得。仕方ない。
     出来ない人は支えさせて頂きたいです。
     因みに私は弱者です。だから助けていらない。参考にはさせて頂きます。
     
    ・弱い人の見方をしているという人は、多分事実を言っているのでしょう。
     そこに違和感を感じるのは、違う捉え方をしているからだと思います。
     弱い人の為に見方をしていると、勝手に解釈していませんか?
     弱い人の見方をしている人は、そういう事が好きな人。
     だから自分の欲求を満たしているだけ。自己満足の人。
     「私は、弱い人の見方をするのが好きなんです」位言えば、あぁそうなんだ。
     で終わる。それを言葉足らずで、恰も弱い人の見方と捉えられる言い回しをするから、
     違和感を感じる。

    ・財布を取られたら上げればいい。そうしないと生きていけない可哀想な人だから、涙さえ
     出てきます。
     お金は又働けばいい。今お金はないけど、生きていく方法を知っている。
     だから生きてこれた。取る人と、取られた人は生きる為に行動をした。
     只その方法が違っていた。間違った方法を取った人はその原因や、背景が有る筈。
     にも関わらず、自分のやれる行動をした。その背景を哀しむと同時に応援したくなる。

    ・こんな考えの私は、何主義者?

      感謝!        
                             by 上田孝子

  6. タイトルに惹かれて読みましたが、読んで損したと思いました。これこそが、「勉強やテストはできるけれど、頭は悪いの典型なんだな」ということだけが分かりました。もっと杉本恵洋さんの話を読みたいです。

  7. 吉永さん いつもメルマガ興味深く拝見しております。
    子供の頃から聖書に興味を持っていらっしゃるなんてさすがですね。

    私も子供の頃から聖書を読んでいます。
    コーヴィーの「7つの習慣」も聖書的な考えがベースになっているので、
    他の日本人よりは理解しやすいかもしれないと思います。

    アブラハムの息子のヨセフの話とか。

    聖書を読めば読むほど、一般的なキリスト教と言われているものの教えと
    聖書の内容がかけ離れていることに気づきますね。

    クリスマスだって、イエスの弟子たちは祝わなかったし、
    第一12月25日はイエスの誕生日ではないし。
    (太陽の誕生日か何かですよね)

    異教と、キリスト教を結びつけて、ローマ国教にして
    民衆を支配しやすくするために利用しただけですね。

    だから、キリスト教の教理と、聖書の教えを混同すると頭が混乱します。
    矛盾が多すぎるから。

    聖書は聖書で解読するべきだと思います。

    神を戦争や金儲けに利用するような人たちの言う事は信用できない
    と私は思っているんですが・・・。

    イエスご自身が最後の晩餐の祈りの中で言われたように
    「神とキリストについての知識を取り入れる事が永遠の命を意味する」
    ので神とイエスについての知識を求めるのは大切な事だと思います。

    今年は起業したばかりで忙しさにかまけてしまっていすが、
    今も勉強のために決まった時間を取るようにしています。

    このサイトは参考になるかもしれませんよ。
    イエスの役割がわかりますよ。参考までに。
     ↓
    http://www.jw.org/ja/%E5%87%BA%E7%89%88%E7%89%A9/%E6%9C%AC/%E8%81%96%E6%9B%B8%E3%81%AE%E6%95%99%E3%81%88/%E3%82%A4%E3%82%A8%E3%82%B9-%E3%82%AD%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88%E3%81%AF%E3%81%A9%E3%82%93%E3%81%AA%E6%96%B9%E3%81%A7%E3%81%99%E3%81%8B/

  8. 吉永先生!「新約聖書」と「旧約聖書」の意味を取り違えています!
    これは「古い訳」なのか「新しい訳」なのかの違いではありません。
    旧約聖書は39冊の本の集まり(プロテスタント方式)
    内容は天地創造にはじまり、キリストの誕生前まで。
    新約聖書はキリストの27冊の本の集まり。
    内容はキリストの誕生から死と、キリストの弟子たちの活動と黙示録です。

    そもそも「訳」ではなく「約」なのに気付いてましたか?
    そう。これは「神様との契約」の前後するものなのです。
    ご注意ください。

  9. >でも、それが神の国への道であり、
    > その道の入り口は、とてもとても狭いんだよ、と書いてあります。

    >収入に占めるパーセントが高いほど良いと書いてあります。
    >100%がベスト、そう書いてあります。

    よく、幼子のような心の持ち主が天国に入るにはふさわしいと言われます。
    大人になると物事の分別が付く、逆に、分別が付くからこそ大人であると解釈できますが、
    分別はときとして、幼子のような心を保つ上で邪魔になります。

    持っている財産(収入)をすべて寄進したら生きられるだろうか?生きていく上では、全部は与えてはならない、というのも大人の分別を持った考えと思います。

    一方で、マタイによる福音書には、
    『何を食べるか、何を飲むか、何を着るかについて心配するのはやめなさい。(中略)しかし、あなたがたの天の父は、それがみなあなたがたに必要であると知っておられます。
    だから、神の国とその義とを第一に求めなさい。そうすれば、それらのものはすべて与えられます。』

    このように述べられてもいます。

    神から見た理想の人間の心の姿は、幼児のそれに現れている気がします。
    幼い子ども同士、恵まれない子供はみんなで助け合って、食べるもの、着るものは、親がいるから何も心配はない。親を神に置き換えて考えれば、親(神)への愛情だけで十分である、ということではないでしょうか?

    http://www.geocities.jp/captain_makoto_yamaya/tennokodomo.html
    (こちらのサイトに、そのあたりのことが少し触れてあります。)

  10. 聖書は理解に苦しみます。意味が分からず、○○って何?って教会で訪ねてみたら人名だったりさっぱり分からないので帰ってきました。分からないで、いても仕方が無いので・・・・・信じる事は凄い事です。何か、納得いかないとそこで終わってしまう私です。ただ、教会で驚いた事は一身にお祈りしている方には驚きました。周りの人と手をつなぎましょうと言われて、手をつなぎたくない人とつなぐのが嫌でした。ので、それっきりで分からないままです。

  11. とても興味深い話でした。又、笑ってしまいました!! スミマセン!というのは、自分も教会に行ってるからです。聖書は確かに、凄い本だと思います。ベストセラーになるほどのことはありますね。私は、自分に響く言葉が出てくるまで、聖書の言葉を読んでます。(時々!)
    厳しいけれど、自分を支えてくれて、矯正してくれる言葉だと思います。でも吉永さんが1000回も詠まれるほどのパワーは、私にはありません。これがすごい と思いました。ほんとに!Merry X’mas!

  12. なかなか出来ない事を出来る人はすごいですよね!

    貴重な学びをありがとうございました!

  13. コンニチワ。面白いですね(≧∇≦)b
    確かに、聖書は読めば読むほどわからなくなります。動物や者をイエス様にたとえたりするとこも。
    外国人の方が聖書を日本語に直すのも難しいと思います(*゜▽゜)ノ

  14. 奇跡講座を今読んでいます。全くわからなくて途方にくれていますが、
    何回も読み込めば理解できる日がくると希望がもてました。吉永さんありがとうございます。

  15. いや~面白かったです。
    私も縁あって幼い頃からキリスト教的な世界感の中で育ちました。
    中学生になったときプロテスタント系の教会に通い、高校生のときに受洗しました。が、かえってノイローゼとなり悩みながら離れました。中学時代、私も新旧の聖書を何度も何度も通読しました。マーカーで色とりどりになりました(笑)中学生だったので、旧約の神様はとても怖く感じ、新約の神様も怖かったですが、これしかないんだと思い込んでいたので必死でした。
    私のケースは家庭環境的に自分で判断が出来ない時期に刷り込まれた経緯があり、聖書を「判断」したり「吟味」したりという発想すらありませんでした。なので素直に読めば当然怖くなったし訳が分からないしノイローゼにもなったわけです。
    で、2000年前の言葉が翻訳に次ぐ翻訳の中で、誤訳まみれになり本当の内容なんて分からないんだという結論に至りました。ここまでくるのも相当な苦しみでした。
    新約で良く使われる「人の子」という言葉ひとつとってみても、今の日本に生まれた私には、正直に自分の心に問えば、さっぱり意味がわかりません。
    そして事実「主の祈り」さえ誤訳(英語→日本語にする時に)ですしね。
    loveという単語だって、当てはまる言葉は日本語には存在しません。いわゆる日本語の「愛」という言葉とは違うからです。ホ・オポノポノのヒューレン博士の同趣旨の発言を読んだときにはやはりそうかと確信しました。
    新旧当時の生活環境だって、今とはまったく想像もできない状況だったと思いますし、自分がその時に生きて体験しなければ、書物だけでは本当のことはおそらく分からないんだろうなと思ったのです。

    この記事で吉永さまがおっしゃっていることを読んで、とても痛快でした。とても素直な感想だと感じました。中学生高校生のあのときに、こんな風に言ってみたかった(笑)私には保存版です(笑)ありがとうございます。

  16. 連投すみません。世界感は誤りです。「世界観」に訂正(^.^)

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