「聖書」についてQ&A

吉永賢一

吉永賢一です。

以前書いた「聖書」に関するエントリーについて

>>聖書について
>>「がんばる」と「聖書」について

たくさんのご感想やご質問をいただきました。

貯めてしまうと、回答しなくなることが多いので
さっそく、Q&Aです!

Q. 「主」が人を富ませるのではなくて、
「主の祝福」が人を富ませる、違いがよくわかりません。
主が誰を祝福するかは、主が決めるのでしょうか?
カルバンの決定説?

A. カルバンの予定説は、
高校の世界史や倫理で習うから、
連想したのでしょうか。

「祝福」をどうやって得るのか、
人の側から得ることができるかになると、
ぼくが知っているだけでも、
さまざまな立場があります。

そして、ぼく自身の立場も、
これまで変遷してきているので、
今後も変わるかもしれません。

ぼくにとって、今現在のところ、
まず連想されるのは、洗足の儀です。

汚れた足を差し出すと、イエス様が洗ってくれるというお話で、
新約に出てきます。

「そんなのもったいないです、申し訳ないから遠慮します」

というような意味のことを言うと、

「もしそれだと、私とあなたは関係がないことになる」

ということをイエス様が返答するわけですが、
この「関係」は祝福だとする立場ですね。

この場合、汚れや罪を差し出して、
清められることを祝福と捉え、
祝福された人は、祝福を向け変えることができる(取りなすことが可能である)
とされることが多いです。

これは、ぼくには、仏教の「回向」という概念が連想されます。

こういう考え方が背後にあると、(人間関係においても)
「赦し」ということも
特別な意味を持ってくるわけです。

Q. 「がんばる」ことは良くないと読めたのですが、
吉永先生は、「よくがんばったね!」という褒め方について、
どこかで解説していたと思います。

この関連について、良かったら教えていただけるとうれしいです。

A. これは、相手を見て、話す内容を変えるということです。

それは、嘘をついていることとは違います。

そもそも、実行不可能なことは、実行できません。

ですから、自分の知っていることの中でも、
「今の目の前の人が理解可能、実行可能」という制限をかけた上での
最良のことを話そうとするからです。

自分にとって良ければいいかと言えばそうではなく、
相手の進化量(変化量)が最大になるようにと意図しているということです。

これだけだとわかりにくいかもしれませんから、
具体例を出してみます。

たとえば、母が

「けんいち、本が出しっぱなしだったから片付けておいたよ」

と言ったときに、

「お母さん、意志でものが動くんじゃなくて、
物が動くのは力によるんだよ。意志で動くとしたら、
それは超能力だよ」

とぼくが返答したことはなかったと思います。

ここで、

「それはそうだけど、意志によって身体を動かすことができて、
身体と本の接触によって、本は力を受けて動いたのだから、
日本語で『から』というときには、間は省略することが
行われるから、もし、物が力で動くとしても、
この言い方は否定されないんじゃない?」

と、母が反論したとします。

その際に、たとえばぼくが、

「でも、その意志にしても、
意志が身体を動かしているのか、脳内の物質の作用により、
意志の方が後から構成されたのか、まだ結論が出ていないし、
生理学的な立場からだけじゃなくて、
哲学的にも、自由意志があるかどうかにしても
カンタンに結論づけられないよ」

などと言い返すとか、そのような対話は、
現実には行われませんでした。

なぜか。

ぼくの頭の中に、このような議論が生まれても、

「けんいち、本が出しっぱなしだったから片付けておいたよ」

と言われたら、

「うん、ありがとう」

と言うからです。

また、「科学しか信じない」と言う人が、
日本語の構文上、いわゆる超能力を肯定するような言い方をしても、
わざわざつっこんだりもしないわけです。

ほとんどの人は、
ここに書いたような意味で「考える」ということをしないまま
生きているからです。

ですから、ぼくは、たとえば物の運動について、
日常会話で使われているフレームだったり、
物理学で使われているフレームだったり、
神学で使われているフレームだったりを
自分自身でも使い分け、会話においても、
相手や文脈に応じて変えていることになります。

Q. いつもありがとうございます。
箴言10:22は私の大好きな聖句です。
人間がいくらがんばっても,
それだけではうまく行かないことを示す聖句はたくさんありますね。

(中略)

逆に,がんばることを奨励する聖句もたくさんありますね。

「無精者の手は人を貧乏にし、勤勉な者の手は人を富ます。」-箴言 10:4。

(中略)

聖書は30年以上,ほぼ毎日読んでいます。
神はいつも祝福をたくさん注いでくださっています。
それではまた!

A. たくさんの聖句をありがとうございます。

もし、聖書を自分でひもとく人がいれば、
場所も近いですし、箴言 10:4は質問が来る可能性が高いと思っていましたが、
やはりというか、聖書を読み込んでいる方からメールが来ました。

英語のバージョンの方がわかりやすいと思うので、
英訳を出すと、

Being lazy will make you poor, but hard work will
make you rich.

It is the LORD’s blessing that makes you wealthy.
Hard work can make you no richer.

となります。

ぱっと読むと、

Hard workは、人を富ませるの? 富ませないの? どっちなの?

と言いたい部分だと思います。

いろいろな解釈があると思いますが、
ぼくは今のところ、かなり単純に読んでいて、
以下のように考えています。

・Hard workは、人をrichにする

・神の祝福が、人をwealthy にし、hard workが、
wealthyな状態を、より富ませるということはない

実際、日々の現実と照らし合わせてみても、
一生懸命にバイトするのと、日々ぶらぶらしているのと、
もちろん、前者の方が収入があります。

この意味では、一生懸命にバイトすることで
richになります。

しかし、本当の富と感じられる状態、
本当に豊かさを実感できる状態(wealthy)になると、
hard workでは到達できないし、
それをさらに良くすることもできない。

それはただ、祝福によるのである。

つまり、放っておけば減少してしまう一時的な富と、
状態が保たれる豊かな富との概念を分けていると考えます。

それでこれは、聖書的な言い方を離れ、
日常会話的に言えば、

「がんばることと、やるべきことをやることの違い」

「がんばることと、使命に生きることとの違い」

と言うことができると思っています。

こう考えますが、英訳ではrich, wealthyと訳し分けているけれども、
原語での差異となると、ぼくもまだ勉強していません。

原語は同じという可能性もあると思います。

しかし、もし、同じ単語を使っていても、

箴言 10:4と10:22で、

・それぞれのhard workは、同字異義句
・それぞれの富は、同字異義句

という可能性は残ると思います。

ここでは、hard workは同義で、
富は異義であるという立場で書きました。

結論が出ないとしても、
聖書は、このようなことを考えてゆくことで、
頭も良くなるし、生き方も良くなる本だと思っています。

Q. 日本には、罪は許される「のりなおし」との
考えがありますね。
これも無理に頑張らないひとつの方法かと。
言い換えればプラス思考ですが。

A. 「のりなおし」に近いのが、
ぼくの言っていることだと、

「続きを言う」

という考え方です。

あとは、

「悪い点に注目した後で、
そのものの良い点に注目し直して、
その部分についての感謝のことばを出す」

など。

これは、「がんばらないことをがんばる」ということで、
がんばる対象を、がんばりの作用を消すことに向けることで
自壊させることを狙うという方法論になります。

「がんばるとしたら、がんばらないことをがんばるっていうことだよね」

と言うこともありますが、
これも、聴き手によっては、単に怠惰さを正当化するのに
使われる可能性がある言葉なので、
やはり、「聴き手次第」ということが、いつも優先されます。

他にも質問をいただいていますが、
多くの人の興味領域に近そうなものを選んでみました。

余計疑問が出てきた人もいると思います。

疑問が出てきたら、ぜひ、

「自分の頭で考える」

ネタにしてください。

吉永賢一

PR.
東大家庭教師が教える頭が良くなる勉強法
http://www.business-college.jp/yes/

伝説のセミナーを自宅で!やる気セミナーDVD講座
http://www.nextleader.jp/yoshinaga/yarukiseminar/

大量記憶術講座(初月100円でお試し可能)
http://www.nextleader.jp/yoshinaga/kioku/


吉永賢一の書籍

東大家庭教師が教える頭が良くなる勉強法
http://amzn.to/vCgAPi

東大家庭教師が教える頭が良くなる記憶術
http://amzn.to/urCXdt

東大家庭教師が教える頭が良くなる思考法
http://amzn.to/vkqj1G

東大家庭教師が教える頭がよくなる読書法
http://amzn.to/uw2BwH

東大家庭教師の結果が出るノート術
http://amzn.to/v92Fv5

東大家庭教師の必ず結果が出る英語トレーニング
http://amzn.to/rrvbOy

4 thoughts on “「聖書」についてQ&A

  1. 吉永さんは、クリスチャンですか?私は洗礼受けて何年にもなりますが、未だに聖書の意味が判っていません。最近web等で聖書の音声を聞けるサイトがあるので聞いてると、どこかで心にグサッと突き刺さるような言葉の響きがあるんですね。多分、これは、自分にとって今必要な御ことばかもしれません。けれど、人間には元々生存本能があり、今必要なことや物を知らず知らずのうちに自分で手に入れてしまうこともあります。
    私がまだ2,3歳の頃、おなかが空きすぎて、暫く泣いてたのですが、突然
    高い棚の上にあったおかしを見つけ、何とかしてよじ登り取って食べて、泣き止んだ  なんて1こまを
    今でも鮮明に覚えてます。これは、まさに人間の本能、それこそ神から頂いた人間の生きる知恵なのでしょうか(笑)
    元々備わっている人間の素晴らしい脳を戦争事に使うのか、人類の発展事に使うのか、それとも・・・・
    あとは、私達の選択に任されてる気がします。
    悲しいことに この選択においては、神様は寛容ですから、初めから「そっちに行ってはいけないよ」などとは、我々に言ってくれません。
    自由とは、ある意味 楽なようで、責任が伴ってきますね。
    日々、感謝しつつ★

  2.  こんにちは。メルマガを読ませていただいています。

    わたしも箴言10:22は好きな言葉です。

    ヘブライ語,アラム語およびギリシャ語本文から直接,現代英語に翻訳された「英文新世界訳聖書」

    によれば、箴言10:22は

    (Proverbs 10:22) The blessing of Jehovah—that is what makes rich, and he adds no pain with it.

    となっています。

    日本語でこの聖句の説明がされています。

    http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/2006367

    http://wol.jw.org/ja/wol/d/r7/lp-j/102003651#h=0:0-15:263

    よかったらご覧になってください。

  3. 吉永さん

    主の血潮賛美致します。中学一年生の国語をサンクラス教えています。吉永さんは聖書の中でイエス様と対話なさってらっしゃるのですね。

    佐々木 啓子

  4. はじめまして。
    現在、吉永賢一さんの「記憶法遠隔セミナー」を受講してる者です。
    このブログを見て初めて「大量記憶術講座」の存在を知ったのですが、
    この2講座の内容の違いはあるのでしょうか?
    また、最終的なゴール地点の記憶力の差はあるのでしょうか?

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>