惨劇は起きたのは今から150年ほど前、江戸時代末期の1862年9月14日のことだった。
その日の朝、時の薩摩藩主の父・島津久光は数カ月間滞在した幕府での用事を無事に済ませ、400人もの藩士を率いて江戸から京都へと帰路に就いた。
午後2時くらいのこと。久光率いる薩摩の大名行列は、今の川崎と横浜の真ん中くらいの場所にある生麦村に差し掛かったところ、反対側からやって来た馬に乗ったイギリス人の4人組と遭遇した。
本来なら馬から降りて道を空けて敬意を表すべきところを、あろうことかイギリス人達は警告する藩士を尻目に馬を行列の中に進ませてしまった。
その日は日曜日。4人はこの休日に居住地の横浜を出て友人と共に乗馬を楽しんでいたそうだ。当時の日本は黒船による開国間もない頃で横浜には多数の外国人商人が住んでいて、彼らもまた横浜に住む貿易商だった。
薩摩藩士は再三に渡って彼らに警告したが日本語なので全く通じない。4人組の方はどんどん行列の中を突き進み、ついには久光の目前に迫ってきた。
突然、その目に余る態度に業を煮やした薩摩藩士の一人が先頭にいたイギリス人に斬りかった。驚いた彼らは行列の中を必死に逃げたが周りは薩摩藩士だらけ。血まみれになりながらもなんとか行列を脱出したが先頭にいたイギリス人は重傷で命を落としてしまった。
結局この事件の落とし前を巡って、イギリスと薩摩藩の間に薩英戦争が勃発。時代は一気に幕末から明治維新へと突き進んでいくことになります。
価値観
生麦事件は大名行列に騎乗したまま、すれ違うことが大変に無礼な行為であるということをイギリス人達が知らなかったということが引き起こしてしまった悲惨な事件です。
イギリス人にとって日本人は言葉も通じない上にまだまだ未知の存在だったので無礼な行動をとってしまったのは仕方がないということもできます。
しかし、相手が誇りに思っていることや大切にしていることにしっかり配慮しなかったり、軽んじたりすれば相手の価値観を傷付けてしまいます。知らなかったでは済まされないのです。
従って、無知は生麦事件のような不幸な結果を招く一因にもなります。同じ世界で一緒に暮らしていくには相手の価値観を知るということはとても重要なことなのです。
レンズ
イギリス人達が大名行列を単なるの人の集団に見えてしまったように人間は普段、自分たちのレンズを通して世界を見ています。ビジネスマンにとってパソコンは重要なビジネスツールですが、赤ちゃんにとってはただの箱です。
ただ、相手のレンズを無視して自分は知らない、分からないでは、生麦事件のように相手を怒らせてしまったり、互いの信頼を失ってしまったりというようなことが起こりかねません。
だから大事なことは相手のレンズでモノを見て相手を理解することです。相手が大切に思っていることが何かというのを知ることです。
相手を理解するのはなかなか難しいことですが、相手のレンズから的確に世界を見て理解することがリーダーの勘所ではないでしょうか。
―森兼
PS.
今日の午前中にとても重要な発表があります。絶対にメールを見逃さないようにしてくださいね。
この重い事件を通しても本当に”相手の世界に理解と敬意!”が必要と感じます。
今日中間でで問題になっている尖閣問題も、自国が正しいとそれぞれが思い、主張していますが、一度お互いに相手の立場で考えて見てから、改めて対応してはと思います。
領土問題は生易しいものではありませんが、手立てが見えてくるかもしれません。
自分の身の回り、職場などでも当てはまることがいっぱいあります。
おはようございます。
森兼さんの語る歴史に触れ、歴史が好きになった私です。
歴史とは、現実に起こったことなので、説得力ありますよね。
たとえ、時代はかわってもヒントになることがたくさんあります。
分かりやすかったです。
ありがとうございました。
まさにその通りです。貿易の仕事をやってますが、その国の政治と経済だけに関心を持つのでなく歴史や文化を辿ってみて、その国の人々の考え方や思想などの知識を得ることで配慮ある行動をすべきだと日々感じています。
改めて当時の日本がどういう状況だったのか認識できました。日本では、江戸時代以前から欧米列強による植民地化政策を知っていて、植民地にされた国が過酷に搾取されている事を知っていたので、いつ日本が同じ目に逢うかと深刻だった事でしょう。その後日本は富国強兵をして、欧米列強からの侵略に対抗できるように備えたのです。そして自衛の為に様々な戦争を戦ったのだという事を改めて確認できました。
生麦事件(碑があります)
学校の歴史の時間に習った覚えがありますが、詳しいことは知りませんでした。
実はその事件がおこった場所のすぐ近く横浜市鶴見区に住んでいて、通勤時
いつもその前を通っています。
勉強になりました。価値観の違い、肝に命じます。
生まれて育った環境が違うからこそ
価値観が互いに違う
だからこそ相手のことをしっかり理解して
相互依存をする
私も自分の価値観を押し付けるのではなく
相手の価値観を理解し互いが納得いく結果を
導き出したいと思います
ありがとうございます
まずは相手の価値観に合わせることが余計な争いごとを防ぎ、互いにいい関係を築く土台となるということでしょうか。
読んでいるうちに「郷に入ったら郷に従え」の諺を思い出しましたが
相手のしきたりに従う→相手の価値観を理解する
この諺にはそういった心持も含まれているのでしょうか。
知らないでは済まない事がたくさん
あるように思う今日この頃です(^_^;)
ついつい自分の価値観で判断してしまいますが
相手の価値観がどこにあるのか?
を常に考えないといけないなぁ
って思って読ませて頂いた静香でした。
いつもながら話の持って行き方が
すっごい上手だなぁ♪
と毎日楽しく読んでま~す(*>∀<*)ノシ
先日私の身にも、今回のメルマガの内容とダブルようなことが起こりました。
私は全く悪気はなく、逆に自分が楽しみにしているということを伝えたくて、ある人にメールをしました。
その人にとっては、このメールがその人の提供しているサービスを催促していると感じられ、とても憤りを感じていらっしゃって、その旨をメールで返信されてきました。
私は、普通にいい気分で道を歩いていたところを後ろから棍棒で頭を殴りつけられた気分でした。
とても腹立たしくもありましたが、そこはいつもこのメルマガなどで学んだことを活かすチャンスと思い、心を鎮めて、客観的になるように努めました。
そしてなるべくこの人の目線で見るようにして、この人の気持ちを考えながら、そして感謝の気持ちも込めながら、返答のことばを選んでメールを返信しました。
この人は全くレンズを変えて見てみることはしようとはしませんでした。
それはその人の価値観ですので、私が触る範疇ではないと思っています。
とはいえ、この人から受けるはずのサービスは、人のスピリチュアルな部分まで影響を及ぼすものなので、この人から受けることはやめることにしました。
今までしていただいたことに感謝し、愛情を込めてエールを遅らせていただきました。
私にとっては、居心地の悪い状況から冷静に判断して、愛をもって対応するということをまさに体と心で体験できて、とても大きな勉強になりました。