感謝の気持ち

感謝の気持ちが大切だ。

幼い頃よりそう諭されて生きる私達。

あなたは普段何に対して、
どのように感謝の気持ちを抱いていますか?

例えば、親、友人、恩人に対してでしょうか。
アドバイスや精神的な支え、
そして、物質的な援助に対しての感謝でしょうか。

それらは勿論大切です。
しかし、一番大切なことを忘れてはいけません。

それは、食べ物への感謝です。

日本は、歴史上、何度となく
悲惨な飢饉に見舞われてきました。

養和の飢饉
長禄・寛正の飢饉
寛永の飢饉等

中でも、特に酷かったとされるのが
天保の大飢饉です。

洪水や冷害による連年の不作を原因とし、
それは7年にも渡り、全国に及ぶ、
凄まじいものでした。

鶏犬猫鼠の類を全て食いつくし
発熱性腸チフスが蔓延し
路上には餓死した人々の死骸が溢れ
行き倒れるや否や、鳥の餌食となったと言います。

食べ物がなく、一日に何百という人々が
餓死し、倒れる。
この凄惨な状況を想像することができるでしょうか。

一方、平和な飽食の時代となった現代。

私達は、こうした悲惨な歴史をすっかり忘れ、
食べ物への感謝の気持ちは薄らいでいます。

バイキングでは食べきれない量を用意し、
冷蔵庫には山ほどの食べ物を詰め込み、腐らせ、
まずいと言っては平気で捨てる。

とりわけ残念に思うのは、
各種会合の後に行われる、
立食パーティーの残り物です。

丸テーブル上に用意された豪華な食事。

しかし、親睦を深めようと熱心な人々は、
それらの料理に手もつけず、
豪華な料理たちは、ただ冷えて、
その多くが捨てられてしまいます。

人脈が大切だ、と私は以前書きました。
会合後のパーティーは、
重要人物と人脈と築く絶好のチャンスです。

しかし、そこに用意された無数の命に目も止めず、
人生の利益に飛び付く前に、
料理たちに目を止めて、材料となった命や、
それらを育ててくれた人々の労力や、
それらをおいしく調理してくれた人々に、
感謝を忘れないでいただきたいと思います。

世を引っ張るリーダー、もしくはその卵だからこそ、
そうした小さな部分に目を止めて、
世界の根底に思いを馳せてもらいたい。

(ただ飾りとして供される食事なら、
最初からなくていい。それがまかり通る不思議について。
なぜ誰も気づくことができないのでしょう)

おいしいものを、たらふく食べる当たり前。

この日常をあたりまえで片付けず、
まずは、冷蔵庫の整理をしてみませんか?

些細で瑣末なことかもしれません。
しかし、こうした小さなものに、
注意を向けることができた時。

もっと大きく、大事なものが、
見えてくるかもしれません。

中藤里美

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28 thoughts on “感謝の気持ち

  1. 私も幼少からご飯は一粒も残さず食べろと教えられてきましたね。 

  2. 「ご飯を残しちゃいけないよ。じいちゃんがつくってくれたんだよ」と言い聞かされ育ちました。実際私の家の裏には畑が広がっていて、それを見ながら育ったのに、いつの間にか感謝を忘れていました。幼い時の教えを忘れていました。「いただきます」「ごちそうさまでした」を真剣に言うところからやりなおそうと思います。

  3. 中藤里美様

    大事なことに気付かせていただき、ありがとうございます。

  4. 確かに、あの食べ放題、バッフェの残りはどうなるかと思うと、いつも思うのは、”もったいない”精神。 私達の親達は、戦後の物のない時代をすごしてきた世代、何事にも、節約、もったいないと言うことを、言ってきた。 子供のころから、ご飯の米粒を残さないように、お百姓さんに感謝。最後まで、使う、食べる。  いまだに、身にしみており、其の習慣、精神が残っており、
    食事に行って残ると、ドギーバッグと称してテイクアエウエイ(豪州)。

    バッフェの残り物はどうなるのか? 廃棄処分なのか? 豚の牛の飼料になるのだろうか、無駄になっていないか、いつも気になる。  この世の中には、有効利用されず、捨てられているものが多すぎる。 人材も同じである。まだまだ元気な60歳過ぎの経験豊富な人たちの再雇用が少ないように思う。 私は、早めのセミリタイア状態(働く意欲が小)であるが、勤労意欲旺盛な人を もっと、社会は 利用すれば良いと思う。 これこそ、もったいない!! 安目の給料で、再活用。   まあ、人生、働くだけが人生ではなく。楽しむことが重要である。 ボランティア活動を通じ、社会貢献をしながら、経験を生かす。

    何事も、食べ物、人材、電気製品、物、道具などなど、、。大事に、感謝して、食べ、使い利用したいものですね。

  5. 立食パーティーってご飯食べないんですね。行ったことないのではじめて知りました。
    僕は人にあまり興味ないので、ご飯ばっかり食べるでしょうね。
    あっ・・・人に興味ない人は行かないか・・・
    お酒も飲まないんで飲み会も行かないですね。
    でも、食べ物には興味あります。大好きです。なんたって妻の料理がサイコーなんです!
    もちろん残したことなんてありません。外に食べに行くなんてもったいない。
    なにより妻に感謝です。そのつぎに材料にかかわった人や自然に感謝してます。
    今日もありがとうございます。

  6. 今は何でもすぐ手に入る何の苦労もせずにだから感謝の気持ちを
    忘れてしまうそれを作る生産者の苦労 努力 汗 を考えたとき
    ありがたさがわかってくるのでゎ無いでしょうか感謝良い言葉です。

  7. 残さないことも大切ですが、自分の食べられる量(キャパ)や状況をきちんと理解して、食べ物を取皿にとり適切な量を味わって食べることが大切だと思います。食事の内容やそれにまつわる話をさりげなく会話に織りこんで話題を広げるのもスマートですよね。テーブルの料理に手を合わせたりしたら、周囲の人達に強烈なインパクトを与えることになるかもしれませんね。

  8. 食への感謝。
    今の時代に合うか?
    確かに間違いではありませんが、
    食をしている自分が生き生きと生きていくために健康に対して
    いかに気を使っているか?
    日本食を食べれる、日本人として生んでくれた親への感謝。
    日本で生活できるのも、親への感謝。
    食を通じて、親への感謝、地球への感謝、宇宙への感謝が出来たら
    うれしいです。

  9. この考え方は実は非常に危険で健康を著しく害することがあります。海外では食べ物が豊富な国があるし、お客さんは残すくらいにもてなさないのは失礼だとする文化の国は意外と多いのです。私も日本人で「食べ物は元々生物であり、生命ある貴重は天の恵みだ」「一生懸命作ってくれたお百姓さんの苦労、運んでくれた人などいろんな人の努力があるもの」「コメの一粒まで残してはいけない。」と思っていました。「もう十分です。お腹いっぱいです。これ以上は食べれません。とてもおいしかったけど、食べすぎてもう動けません。」と本当に食べ過ぎて苦しかったけど、全く残さずに食べると何を言っても無駄なんです。相手は絶対にさらに食べ物を出し、必ず残すまで出してきます。国際的に通用する考えではないのです。欧米なら
    通じますけど。

  10. 当たり前のことですが、気をつけていないと忘れそうになりますね。

  11. まったくの同感です。
    我々が食べるモノはかならず命の犠牲があってのものです。
    肉、魚に限らず、米や野菜も害虫と呼ばれる虫たちを殺すことで美味しく頂くことができる。
    人間が生きていけるのは、それらの犠牲のおかげであるということは
    常に考えておかなければいけませんね。

  12. これは、社会人になった1993年からの懸案です
    そこで、私が考えたのは、残飯で家畜を飼い、糞尿を畑に使うことで循環型農業を行うというもので、2006年7月までは現にそれを目指して研修をしていました
    この案、やっているところがあると、2007年になって知りました
    これを世界に普及させる必要があります
    日本では実に40%の食料が捨てられているといいます
    つまり、捨てるものがなければ、日本の自給率は70%程度にまで上昇するのです
    そして、更に自給率を上げることも可能ですね
    こう考えていくと、日本人が如何に無駄に存在しているかを感じずにはいられません
    しかも、口蹄疫や鶏インフルによって、無惨にも殺処分される家畜たち…
    豊作になって、梱包材の費用も出ないといって廃棄される作物達…
    人類は滅亡するのが最善だと思わずにはいられない…

  13. おっしゃるとおりです。
    食べ物によって、命をいただいてるのですから。
    感謝の気持ちを忘れずにいたいと思います。
    謙虚な気持ちにさせていただきました。

  14. その通りだと思います。自慢じゃありませんが食べ物を捨てたこと余らせたことはほとんどありません。
    こういうことが自然にできる世の中が来るといいと思います。(昔はそうだったと思うのですが)

  15. 最近多くのパーティーを断っており、初めての人とお会いする時も1度目はディナーじゃなくてお茶とお願いしています。人と会うとその人とのお話に集中して食事を取れないので、、パーティーやディナーが続くと痩せて健康を害しそうになるからです。。これ本当です。

    ただ、親しい方の主催するパーティーや自宅パーティーでは残り物も捨てずに頂き、食べるんですけどね。会場が料理を出し、持ち帰りがタブーなホテルなどを使わい限り、みんなで分けて持ち帰ってます。私の周りの富裕層はそうしてる人が多いような気がします。

    おもてなしの立場だと、余らせるぐらいだすのが当たり前ですが、のこったらそれはそれで家族や親しい人に分けたり、翌日に食べたり、冷凍して保存したりしてます~

  16. 自分は今まさに食に関わる仕事(パン屋)をしています。そして毎日大量に廃棄しています。もちろん再生できるものは、極力再生していますが、限界があります。せっかく作ったものを廃棄しなければならない現実、一方で廃棄しないために商品量を減らすとお客様からは「これしか無いの?」と言われ、あるいは常連のお客様のことを考えると、極端に商品量を減らすことも出来ず、本当に悩んでいます。廃棄するまさにその瞬間、何ともいたたまれない気持ちになり、辞めてしまおうかと考えたことが何度もあります。が、もう少し工夫をして廃棄しないで済む方法を検討しているまさにその時、改めて考えさせられるテーマをありがとうございました。我々、食に関わる人間が現実の状況を発信していかなければならないのかもしれませんね。

  17. こんにちは。

    食べ物に感謝しようと思い、行動しようとするほど、
    切なくなる状況ってなんなんでしょう。
    捨てるほうも好きで捨ててるわけじゃないんですよね・・・。

    食を提供してくださる方、もったいないと思っておられる方、
    お互いに心が軽くなる方法があればいいのに、と思います。

    私は生まれてこの方野菜も米も作ったことはないし、
    鶏も豚も牛も世話したことないんですが、
    それでも毎日ご飯食べられる。
    今の日本に生まれたというだけで。

    それは必ず覚えておきたいと思いました。

    ありがとうございます。

  18. 渾身のメッセージを有難うございます。
    世界では美味いものどころか食べるものすらなくて命を落とす人がたくさんいます。
    この日本でさえ収入がなくて食料を手に入れられずに命を落とす方がいます。
    人間だけでなく動物・植物にしても食料や水がなくて命を落とすケースは枚挙にいとまがありません。
    私の場合、立食の機会はあまりありませんが
    食べ放題の店には時折でかけます。
    時間切れになったときにバットの中に残った食材はどうするのか
    何時も気になっています。
    人の上に立つ人は、こうしたことにも目を向けていく必要がありそうです。
    無駄に殺されるために生まれて来た生物などない、というある動物学者の言葉が思い出されます。

  19. わたくし達に取りまして…『衣・食・住』
    確かに…この中で一番のウエイトは…?問いかけには…?? 
    -->そうです~~ネ!!『食』です~~ネ!!と答えますかしら~〰ン^^

    さて!!今回の『アドバイス…』
    それと同時に、3月11日『東北・関東大震災』以降改めて…『日本の農作物』
    此の事に…焦点を当てますと…全く”同感”!!

    以前…外食産業の食べ残しに関しての調査が(7~8位年??)…
    先進国の中では…”日本の%”かなりの…数字!!-->ワ-ストランク!!
    その当時…心痛が>< 何故なら…
    -->当時アフリカ…etc 難民の子供たちの写真を見る機会が…
    その時!!豊かさの中に…いつの間にか”感謝”の気持ちが…薄れてきている事に!!
    複雑な気持ちで…

    今回、新たに此の『気づき』潜在意識にインプット…!!
    心から今の現状-->食事への”感謝”

    食事とは…神との一体感を認識するうえでは…
    内在する神に対しての…”供え物”としての厳粛な気持ちで、食する事を…
    此の事で…無限の健康・活力を得る事でしょう…。

    新たなる『気づき』に感謝…!! ありがとうございます。  (SAKURA…)

  20. 確かに食べるものあっての今の体。
    体と心はつながっている。今の自分があるのは食のおかげ。
    うん、直近で食べた昨日の吉野家の並盛ありがとう!

  21. 私ももったいない精神が強く、
    物を残さず食べます

    時には、友人達が残したものも
    もったいなくて食べてしまうことも
    あります

    裕福な生活が出来るからこそ
    その恩恵に感謝しなければならないと
    常に感じています

    ありがとうございます

  22. 東日本大震災で感謝という“きづき”が得られました。
    人はエゴに気づかず、またはエゴに麻痺してしまい、
    他の命をいただかなければ生きて行けない存在なのに、
    “あたりまえ”のようにムダに食べ、食物を捨ててきました。

    やっぱり人に対し、定期的に“きづき”が得られるように、
    “浄化作用”って起きるのでしょうか?

    でも今回の大震災で多くの方が、
    電気や水、物や動物、自然、そして自分以外の人に対して、
    不足して始めてわかる“感謝”を学んだと思いますね。

    きっとこれらに気づいた人たちが次の時代を作ってゆくのでしょう。
    本当の豊かさは、モノを手に入れることではなく、
    “物”とよばれる全てと共存・協調し、その感謝を育ててゆくことではないか…と、
    わたしも気づきました。

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