奇跡を何に変えるか。

From マイケルE.ガーバー


私たちは奇跡に囲まれている。突拍子も無い奇跡、
光や太陽光の爆発で現れる奇跡。


説明できない現象を奇跡と呼ぶ。それがどこから来たのかわからない。
歴史もなく、基準となる点もない。真空から突如現れるようなものだ。


しかし、私たちは、奇跡を他のものに変えるのではなく、牛の糞にしている。


そしてそれには3つの理由がある。


それについて話そう。


奇跡を牛の糞にしている一つ目の理由は、
私たちが奇跡を信じていないからである。


そう。信じていない。信じたい。


私たちは、人生に何か奇跡的なことがあるのを信じたい。
私たちが持っている力よりも、偉大な力の存在を信じたい。


私たちは奇跡を信じたい。しかし、信じていない。


そう、信じていない。


私たちは、それをアクシデントや不思議な出来事だと信じる。
科学がいつもしようとするように、
私たちはそれを現実的なものだと信じている。


私たちは奇跡を
“これはあれば原因だ。”、
“これはそれから生まれた。”
などと言い訳する。


私たちは奇跡を、
“バカなこと言うな!そんなこと起こるわけが無い。”
“もう一回起こったら教えてくれ。良いね?”
などと言い訳する。


私たちは、奇跡が起こる、起ころうとしている
事実をまったく信じていない、


信じようとしないからである。


その代わり、私たちは、牛の糞のような
ありふれたものにしてしている、


ありふれたものが原因で起きた、
単なる出来事だと思ってしまう。


奇跡が牛の糞になる二つ目の原因は、もし奇跡を信じれば、
もし奇跡的な出来事の存在を受け入れれば、
私たちが理解できないことが存在するという、
否定しがたい可能性を受け入れなくてはならないからだ。


知らないこと、それゆえにコントロール出来ないことは、
私たちをコントロール出来ない状態にしてしまう。


もし奇跡を牛の糞に変えなければ、
私たちはそれを真剣に捉えないといけない。


奇跡の存在を信じてしまえば、
私たちは知らないこと、知りえないことを信じなくてはいけない。


神のような神秘的なものすべてを。
そんな時間はあるだろうか?


奇跡を牛の糞に変える三つ目の理由は、
単に私たちがそれを見ていないからである。


私たちの多くは、奇跡をまったく見ていない。


すべてのものはありきたりである。
私たちのほとんどは、すべてのものを単に
“それがどうした?”
と捉えてしまう。


私たちは身体が機能するのを与えられたとおりに受け入れている。


宇宙、星、惑星、太陽系、銀河、それらを受け入れ、
“それがどうした?知っているよ。”という。
あなたの周りには、いつも奇跡が起きている。
あなたはそれを何に変えるだろうか?

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14 thoughts on “奇跡を何に変えるか。

  1. いつも示唆に富む価値ある内容にうなっています。
    私も、奇跡を起こしてきましたし、
    さらに身近な奇跡に目を向けていきたいと思いました。

  2. いま上海で絵を売ることに奮闘していますが、これを読んで救われる気がしてきました

  3. 奇跡なんて信じたら損をするよ!しっかり、現実を見なよ…と言う人は、きっと、それまでの人生において奇跡的なことから目をそらして来たのだろう。
    その方が、楽だから。
    なせなら、奇跡を信じている人は、たいてい日常生活には存在しないから。
    もし、存在していても、それを口に出す人はいない。
    その人自身身を守っているから。奇跡の経験を口にしたとき周囲の反応が否定的なものであることを知っているから。
    でも、『今』は、奇跡があることに気づき始めている人も多い。
    だから勇気を出して、奇跡の存在を話すといい。
    そこから繋がる絆がある。
    その絆こそ探し求めていたものなのだ!
    奇跡なんて、そこらじゅうにある!見える人には見える。
    きっと、成功者の目には、たくさんの奇跡が見えるのだろう。
    見えないものが見えるから、成功しているとも言える。
    偶然ではなく必然!と教えてもらったときから探し続けてきたことだ。
    そう、きっと全てが必然なのだ!
    だから、責任を持つことが重要なのだ。自分の生み出す行動に責任を持った時、偶然が必然に変わる。
    諦めずやり続けた人だけが経験できることなのだろう。
    『奇跡』信じてみよう!

  4. 「奇跡」という表現が日本人にはオーバーに感じるけど「ミラクル」は例えば100mを10秒前後 42.195キロを2時間ちょっとで走ることも普通の人から見たらまさに奇跡だ。
    人間は変化を嫌うらしい。今まで経験したことのないことやりたがらない。格闘技でも新しい技を使うとすぐに否定的な意見を言う人がいたが世界選手権など大きな舞台に立っているレベルの高い人には同じ技を使う外人がいたので凄くためになったと感謝してくれる人もいた。
    ビジネスにおいても今までやらなかったこと、売っていなかったルートを開拓すると爆発的に売れることを自分で数多く経験してきました。今までのことを全否定することはないけど、
    世の中の動きがかなり変化してきているのだからこれから変化が必要な時に変化できなかった、しなかったものは自然淘汰されていくだろう。「新しいことをやる!」それこそ「奇跡を
    起こす!」くらいのスプリットは持って少し攻撃的に攻める姿勢も大切なことだ。
    でも一定のリスク(防御)も考慮する必要はあるからそこはなるべくリスクをなくすか軽減することも念頭におこう!例えばビジネスなら小規模でテストしてデータ分析を出して係数を
    見るといい。最初から大きな展開でしくじるとリスクも大きいから思いつきだけでは危険だ。
    スポーツもビジネスも基本は数字だから、数字の売らづけのあるなかで是非奇跡を起こし行こう!

  5. 具体的にどの様なことを、

    「奇跡」と表現されているのでしょうか?

    今回の内容は、抽象的過ぎて

    イマイチ理解しにくいです。

  6. 僕は奇跡を感謝に変えています。楽しみに変えています。喜びに変えています。
    今日のメルマガで言う奇跡とは、具体的に言うと、奇跡=五感で感じられるもの全てだと解釈しました。
    なんで僕が歩けるのか、なんで花が見えるのか、なんで鳥の鳴き声が聞こえるのかわかりませんが、有り難いですね。

  7. 信じて裏切られることが怖いから「奇跡」を信じないのかもしれないですね・・・
    そのような不安や恐怖を受け入れることができたら、「奇跡」を信じることができてより素晴らしい毎日になるのだろうと思います。
    私自身も「奇跡」というか自分の可能性を信じている時は、何でもうまくいく気がします。

  8. 子どものときに感じた好奇心(>_<)
    あのとき
    いつも無邪気になって、夜遅くなるまで遊んでいたよね??


    大人になっても、
    子どものときに感じた
    「無邪気」感じて毎日が送れていることに奇跡を感じます!

    ありがとうございます☆

  9. 私たちは知性を獲得し発達させたが故に、奇跡を自身から遠ざけてしまった。
    陽は昇り、沈む。夜が来て、また陽が昇る。
    水道を捻れば、水が出る。
    コンロを点火させれば、火が起きる。
    スイッチを入れれば、電気が電球を煌々と明かりを灯す。
    PCを起動させれば、世界中の人々と繋がることだってできる。
    そのすべてに感謝し、奇跡を感じたい。

    でも、「牛の糞」という表現だけは頂けない。(^^;

  10. 奇跡なんてありません。
    すべてのことは、原因があって結果があります。
    ジェームズ・アレンさんも言っています。
    小川社長の20日付けのメルマガの「幻想である。」
    が参考になると思います。

  11. 病院で昏迷状態の祖母、医師も皆諦めているけど、私は奇跡が起きる事を信じている。

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