「努力」と「発展」

2011年、

ゆとり教育が終わりに向けて動き出しました。

ゆとり教育とは、2003年から実施された学習指導要領のことであり、
そもそもはマスコミが考え出した言葉です。

学習内容がざっくりと削られて、
学力が落ちると批判を受けました。

実際どうだったかというと…
学力は確かに低下したのです。

超難問の正答率がどうのという意味ではありません。
超難問を解ける子は、今も昔もあまりいません。

問題なのは、
小数の計算がいつまで経っても理解できない子、
単純な英単語を覚えないままの子が、
結局いるということです。

そして、高度なレベルを理解しづらい子が、
以前よりも多くなったということです。

ゆとり教育では小数を教えなかったのか、
英単語を覚えさせなかったのかというと、そんなことはありません。
やるべきことはきっちりやってきたはずです。

例えば富士山に登る時、

5合目までで満足して帰る人と、頂上まで登山した人。
両方「富士山登山」という目的は果たしています。
しかし、見えた光景は違います。

5合目で満足した人には、その景色が絶頂でした。
しかし、頂上まで登った人には、5合目なんて遙か下に思えたはずです。

また、頂上まで登った人には、
昇るコツ、呼吸の仕方や、足の痛みを堪える忍耐力、
そうしたものが知らず備わったはずなのです。

これを学習面に置き換えてみます。

より高度な内容を習った方が、その前にある問題を、
簡単だと感じ、また、考える道筋を見つけやすくなるのです。

私が教師をしていて思うのは、ゆとりにしようが受験偏向教育にしようが、
できる子はできるし、できない子は「それなり」です。

皆さんよく勘違いされることに、「平等」という言葉があります。

「平等な教育」とは、教育を受ける権利を保障するものであり、
“IQを皆同じにする”ものではありません。

到達レベルを下げておけば、できない子が“目立たなく”なりますが、
“いなくなる”わけではないのです。

そして、下げられた到達レベルの中で、
だらだらと時を過ごしてしまった子は、
「努力」の2文字を忘れてしまいます。
ゆとり教育の問題点は、ここにこそありました。

人それぞれの能力は残念ながら不平等です。
大多数の人が「普通枠」に収められる中、出来ることを見つける。
出来る面を最大に伸ばす。そうしてあくせくしながら生きていきます。

苦しみがなければ努力をしない。
不満がなければ、変えようとは思わない。
それが人という生き物であり、ここまで発展してきた理由です。

そして、この発展を築いたのは、0.1%の天才ではなく、
99.9%の普通の人たちの「努力」なのではないでしょうか?。

さあ、今日も1日「努力」して、精いっぱい生きてみませんか。

中藤里美


PS:「どれだけ英語を学んでも話せない多くの人と、
短期間で英語をマスターしている
ごく一部の人との違いは一体なんなのか?」

興味のある方は、一度ここからチェックしてみてください。

http://www.honjo-e.com/freeSeminar/

10 thoughts on “「努力」と「発展」

  1. 努力が大事というお話ですね。わずかな天才をうらやんでも仕方ない。凡人には凡人のできることをしなければ。今日もがんばろうという気になりました。

  2. 教育とは、子育てとは何でしょうか?
    子育てをしながら考えます。
    それが、私の仕事ですから。
    私にとって、言葉のニュアンス的意味合いからすれば、「教育」と「子育て」は違う分野に属すると思います。
    この考えに到ったとき、学校と家庭の役割に目がいきます。
    人の人格的基礎を育む家庭と、基礎学力を公平に学ぶことができる義務教育を担う学校。
    今、この時、何がどのように足りないのでしょう?
    学力を手にいれ、それを発展させ、人の役に立つために使うには、最初に何が必要なのでしょう?
    その最初に必要なものは、誰が育むのでしょう?
    今、日本人に何が足りないのでしょう?
    ゆとり教育のせいなのでしょうか?
    それとも、他のことが原因なのでしょうか?
    子供達は、いつの時代も産まれてきます。
    そして、それを支える大人達がいます。
    7つの習慣DVDでも言われていたように、現代社会は激流のごとくです。
    この激流を渡りきる人間は、どのようにつくればいいのでしょう?
    つくる、とは語弊があるかもしれません。
    でも、人も所詮物体です。
    努力を当たり前としてきた過去の日本人達。
    その見返りに発展があった。
    現代において、努力とはどのようなものなのでしょう?
    そして、発展した先にあるものは?
    ただ流されるのではなく、流される先を選ぶ技術が、これからは必要になる。
    それができてはじめて、激流に挑めるはず。
    子供達には、激流を楽しむ能力を身に付けさせてやろう。
    それを示せるのは、指導者にあたる人のみ。背中を見せる!行動で示すしかない!
    『ネクストリーダー』いい名前だ!
    次の指導者は、努力と発展がキーワードですね♪

    1. 子育てと教育の違い;私は子育ての根幹は躾と思います。40年も前と思いますが新入社員の親がこの子は言うことを全く聞きません「会社で良く教育をしてください」・・・と言われたという話を聞いて呆れかえった物です。今は、その時代の子供が親になって居る現在はもっと躾の何たるかも解らない祖父母や親に育てられた子供が多いのではないでしょうか。その上、教師はPTAや教育委員会を恐れて本当の人間教育をしていない様に感じます。戦後我々は欧米先進国にあこがれて貪欲にその文化を受け入れてきましたが、一緒に悪弊も輸入し且つ近年は規制緩和とやらでやたらに日本固有の良さまで壊されているのではないでしょうか。国際化とか世界標準などと言う言葉に惑わされずにもう一遍日本人の良い特性を見直しこれを大事にする事に目を向ける事が大事ではないかと感じる日々です。

  3. まず最初に、「何のために勉強するのか」目的意識を確認させなければ意味がないと思います。私の知る限り、子供の頃それを教えてくれる人は居なかったし、大人も分からないんじゃないかな。子供にはまず「あなた(の将来)には価値がある」ことを最初に教えるべき。日本はが学力低下、モラル低下、でどんどんダメになっていく。日本潰しを計画している人たちがいる。日教組しかり。教育だけの問題じゃなく、日本全体の問題。

  4. 子どもにはお手伝いか勉強かの2択しかなかった時代、子どもたちは勉強を選びました。
    しかし今は、TV、ネット、ケータイ、ゲーム、アミューズメントセンターなどなど、子どもの興味をひくものがゴマンと溢れています。
    そんな中、わざわざ一番苦しい選択肢の勉強を選ぶ子が減った。そういうことかなと思いました。親も、子どもにあれこれ買い与えて可愛がりすぎているように思います。PSPがあるのにDSまで買ってやるなんて、無駄だろうと。子どもにスマートフォンは与えすぎ。おもちゃを大量に与えておいて勉強もしろだなんて。そんなできた子どもなら、「勉強しろ」の文字はいらないでしょう。

  5. 天才は0.1%なのですか
    ならば、未来社会に必要な人材は0.1%ということになりますね
    今の普通の人はもう必要がありません
    私は3%になるだろうと想定していたのです
    優秀な遺伝子以外は残さない
    これが重要です
    そこで、産児制限です
    その必要性を1980年代から述べていると思いますが…
    ネット上では2003年頃からかも
    それまではネットに携わっていなかったから

    1. 世の中が天才だけになったとしても、またそこで格差は生まれると思いますよ。それに、頭のいい人たちが卓上で理屈をこねてるだけでは、人間社会は回りません。畑仕事をしてくれる人、工事に従事してくれる人、レストランや駅の売店で働く人々が必要なのです。そうした人たちは天才でなくてもいい。むしろ、変にプライドのある人たちは、そうした泥臭い生産活動はしてくれないでしょうね。天才だけになったら、その時こそ世界の構造は滅ぶかもしれません。

      1. アリのお話を聞いたことはありませんか?一つの巣にいる働きアリの7割は、実は働いていないのです。働いているのは3割のアリです。その働き者である3割のアリを他の7割から離しておくと、働き者だけであるはずのアリの中の7割は働かなくなるというのです。
        何が言いたいのかというと、0.1%の天才だけを選び出して社会を構成できたとしても、次の瞬間、その社会の更に0.1%だけが天才と認められ、残る99.9%は普通の人とみなされる。ちょっと前までは、彼らも天才と言われていたのに。
        そして、その愚かな選民を繰り返すうち、人類は一人だけになり、どんなに頑張っても数年後に人類は滅亡します。
        die neue Frau さん、選民主義は、非常に愚かな考え方であることに気がついてください。

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