届いた心

それは2004年1月26日のことです・・・

番匠幸一郎(ばんしょうこういちろう)一等陸佐が率いる
復興支援の本隊、第一次イラク復興支援群がサマーワに到着しました。

装甲車にはもとより、隊員の隊服にも
色鮮やかな日ノ丸がくっきりと描かれていました。

この姿に諸外国の軍隊は驚きます。
白地に赤のマークは、砲撃の的に実に最適だからです。
これでは、「撃ってくれ」といわんばかり。
やめろと多くの人々が忠告しました。

しかし、番匠一佐には強い想いがあったのです。

「我々は友人としてサマーワにきた」

番匠一佐は次のような演説を行い、
イラクの人々を感動させました。

「我々日本も60年前の先の大戦で敗れ、国土は焦土と化しました。
すべてが無に帰し、食糧にも困る日々が続きました。
そんな廃墟の中から私達の祖父母、父母の世代は立ち上がり、
大変な努力をして日本を復興させたのです。

その結果、今や世界第2位という日本を築きあげることができました。
メソポタミア文明という人類にとって
偉大な歴史を有するあなたたちイラク人は偉大な国民です。
あなたたちに同じことができないはずがない。

我々は友人として、あなた方が立ち上がるお手伝いにきたのです」

宿営地の建設中、外国の軍人たちが表敬訪問した時は、
一様に驚くことがありました。

夏場、60度にもなるイラクの地にあって、
イラク人作業者たちが、
夕方になってもまだ働いていることでした。

他の宿営地では、イラク人作業者たちは、
3時、4時にもなれば途中でも帰ってしまっていたのです。

他国の場合は、イラク人作業者に作業を命じ、
彼らだけに働いてもらっていました。
しかし、日本の自衛隊は、彼らと一緒になって働き、
共に汗を流していました。

共に働き、共に食事をとり、

休憩時間は仕事について話しあう。

こうした正面から真っすぐ相手に向き合う態度が、
彼らに真心を伝え、絆を深めていったのでした。

そして奇跡が起こります。
ロケット砲が自衛隊宿地近くに打ち込まれた時のことです。

「日本の支援に感謝する」
「帰らないで」

140人ものデモ隊が宿営地に詰めかけて、口ぐちに言いました。
さらに、
「自衛隊の滞在延長を願う署名運動」が展開され、
2日間で1500人もの署名が集まりました。

日本の自衛隊は、友人として受け入れられたのです。

真摯な態度をもって、偽りの無い心を示す。
そうした地道な努力の積み重ねが、
言葉の壁を打ち破り、人と人の絆を強めていきました。

自分が一生懸命やれば、まわりも一生懸命応えてくれる。

あなたの職場も、あなたの真っすぐな心によって、
さらに素敵な場所へと変わっていくと信じています。

中藤 里美

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13 thoughts on “届いた心

  1. この部隊の貢献で有名になったのは、髭の隊長こと現職の佐藤参議院議員のみ。
    番匠閣下は現在関西の駐屯地に着任されており、過日歓迎会が催されたことを、
    フェイスブックで知りました。

    しかし、番匠閣下は「特別な日本人」ではありません。番匠閣下のスピーチにあった、
    祖父母・父母の世代は同じ言語能力を持っていればきっと同じ意味のことを話され、
    同じ行動をとっていたことでしょう。

    私を含め、過度に無責任な自由を子供時代に与えられていた世代が、規律を守る生活をしている内に、本来の日本人に戻って行くのだと思われます。
    それは「男たちの大和」の撮影に参加した百名のエキストラの中ですら起こりました。
    ズボンをズラし、耳はおろか鼻にまでピアスをし、茶髪金髪は当たり前。時間にルーズな人間も多々いる中、海上自衛隊による訓練は始まりました。
    勿論、彼等は自衛隊員ではありませんから甲板の上でそれらしく見せるための訓練であって、
    軍事訓練ではありませんから本来よりはソフトなものでしょう。
    しかし、一ヶ月立つ内に遅刻は無くなり、服装の乱れは無くなり、二ヶ月目には髪も自主的に短くなり、三ヶ月目には普通の新入隊員との区別もつかなくなり、撮影終了の式典においては『海ゆかば』の合唱が何処とはなく始まり、挨拶に立った松竹の社長は感涙の余りに棒立ちになられ、暫し言葉も出なかった。

    東日本大震災で見た気高い態度は、日本人のDNAに埋め込まれているのだと思います。スイッチが入りさえすれば同じことが出来るのが日本人。先のブータン国王の国会演説の中にも其の様な意味のスピーチがありました。

    サマーワで活動した自衛隊員と同じ事は健康でありさえすれば私達も出来ることであり、スイッチさえ入れば日本人は同じ行動を取るのだと思います。
    動画サイトに行けば『国旗の重みシリーズ』で上記のお話も含め、ブータンを親日国にした西岡京治氏の功績も観ることができます。

    皆さんも少しお時間をとって日本人のスイッチを探して見られては如何でしょうか。

    1. 『日本人のスイッチ』・・・きっと、今、必要な時がきているのだと思います。
      小さな豆粒みたいなスイッチから、大きく巨人のようなスイッチまで、見た目があるかもしれません。
      でも、その質は、見た目だけでは誰にも分かりません。
      使用した時に、そのスイッチがなんなのかが分かるのではないでしょうか?
      私も、たくさんのスイッチを作ってきました。もちろん、これからも、さらにたくさん作っていきたいと思っています。
      そして、それらを使いこなせるように日々訓練します!
      よいお話をありがとうございましたm(__)m

  2. やる気出たーーーー!
    他人じゃない、自分なんだ!
    自分が変われば環境も変わる。
    わかってるつもりだけど、ついつい環境・まわりの所為にしてしまう。
    私に辛い態度を取るあの人も、私がそうさせている。
    自分の行動が他人の行動を引き起こす。

    嫌なら自分が変わるしかない。
    やるっきゃない!

  3. ~~私がこの3年で学んだこと(簡略)~~
    一人ではなかなか状況を変えることはできないけれど、3人、理想は同じ志だけど似たものでもいい。3人集まらないなら、せめて2人。
    それでも集まらないなら、一人ででもやるしかない。ただし、普通の人(自他共に実力を認めている人でない人)であれば、最初は目立たないよう自己成長に勤めることが賢明。
    他者からの意見に惑わされてしまう自分の思考のうちは、自分の本当にやりたいことを探す時間に当てた方がよい。
    それが見つかれば、一人ででも動いていける。たぶん、他者がやめろと言ってもやめることができないから。
    それを見た他者の中に、心を動かされる人物が現れる。
    その場合は、この人と組んでいけばよい。そして、お互いが成長し、目指す場所が変わってきたらまた離れればよい。この繰り返しをしていくこと。
    自衛隊の場合、グループで行っているので一人ではないですよね!

  4. 書き忘れていました。
    『心』が届くには、お届けする側に大きなパワーが必要だと思います。
    打っても打っても砕けない心。ひびが入っても修復してしまう心。暗闇に入れても光り輝く心。
    この心があれば、どなたかの心まで、その心をお届けすることができるでしょうね♪

  5. 学のない私には、専門用語が多く、内容が難しくて良く意味がわからなかったです。

  6. 私は、今、韓国人と結婚して韓国に住んでいますが、いろいろ学びたくて、このメルマガを読んでいます。今日の内容でも、外国にいる日本人としてのあり方を考えさせられましたが、コメされている方たちの内容からも、学ぶ事が多いです。

  7. まさに、リアル経済がカードゲームの大貧民と同じルールで動いているということですね。
    これまでは私を含むほとんどの人が結果的に(一部の)大富豪の間違ったルールに従っていたから、今の経済状況があると。正しいルールで動くことが必要ということと理解しました。

  8. 感動しました。
    日本人に生まれてとても幸せです。
    教えていただきありがとうございます。

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