見えるものを伝えよう

近所の路上店舗を覗いたときこと…

そこでは、数々の野菜が売られていた。
見た目も鮮やか、しかも安い。
スーパーで買うより安そうだと私は感じた。

そこの店で商品を買っている人は、
正直あまりみたことがなかったのだが、
品も値段も悪くない。

小さな店だから見逃されてしまっているのかもしれない。

私は丁度、スーパーで買い物を済ませたところだった。
両手には買い物袋。
これ以上なにかを買う予定もなかったのだが、
安さに釣られた。

覗いて見れば
店主も人のよさそうな笑顔を振りまき、好印象。
レンコンやらじゃがいもやらを購入し、
計230円程度の支払いとなった。

しかし、私は両手に買い物袋。

バックから財布を取り出すのも苦労する始末で、
フタを開けたサイフから、
小銭を取り出すだけの作業にも骨が折れた。

しかも、サイフの中は
十円玉ばかりがぎっしり詰まり、
100円玉の姿がどうにも見当たらない。

一枚ずつ数えていた私は、最後の方面倒になり、
明らかに足りて余りある量を掴むと、店主に渡した。

「足りますか?」

私のその問いは
「余りがあったら返してください」という意味だった。

が、店主はそうは思わなかったらしい。

「うん……ありがとう」

明らかに充分すぎる金額を握りしめ、
店主は奥にさがってしまったのだった。

「高い」「安い」とは

私が余分に渡した量は、
せいぜい50円程度のことだったろう。

たとえば車を購入する時、
よりよい音で曲を聞きたいからとステレオを変え、
最新のカーナビを付け、
座り心地のよいシートに変えようとやっていれば、
あっという間に数十万の金が飛ぶ。

140万円がいつの間にか200万円に跳ね上がるミラクルに、
不平を言う人はいない。

そういうものだと、思っている。

そこの交渉で「50円安くなりますよ」
と言われたところでばかばかしい。

ところが、野菜で「50円」は大きいのだ。
高くなるにせよ、安くなるにせよ。

そうした微妙なラインで暮らす人々にとって、
50円の価値とはどれほどのものだったのだろう。

このご時世・・・

中小企業どころか大企業も悲鳴を上げる中で、
露天での商売がどれほど大変かはなんとなく想像がついた。

たった50円でも、
それが彼の生活の助けになるのかもしれない。

私も金持ちではないが、
50円で生活が逆転するような
位置に立っては暮らしていない。

あと数十円足りないという苦境は、
正直知らない。

しかし、世の中には、
ごく身近な私のご近所さんの中には、
数十円で生きるか死ぬかの瀬戸際に
暮らす人もいるのだろうか。

そう思えば、いたたまれなくなった。

人は集団で暮らし、経済は繋がっている。
誰かが困っているならば、

それはいずれあなたを巻きこむ
津波の兆候かもしれない。

ならば困っているその人を
見過ごすわけにはいかないだろう。

誰かに伝える必要がある。

人にはそれぞれ、見える立場や見えない立場があり、
共感を呼ぶのも難しいが、

しなければただ現象は流れて、消えて行く。

あなたにしか見えないものがそこにある。

それを私は知らないし、
あなたの友人たちもたぶん知らない。

それを伝えることによって、
自分には解決の糸口さえ見当たらない問題にも、
的確な判断が下せる人が現れるかもしれない。

それこそが助けあいの根幹であり、
共同体を盛り上げ、
さらには、自らを助ける一歩になると思うのだ。

–中藤里美

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26 thoughts on “見えるものを伝えよう

  1. 文章に感心しました。ワザワザ、Tweetするなんて、自分でもめったにしませんが、内容が、よかった。

  2. 何が言いたいのか?
    50円損したから悔しかったんでしょうか?
    日本の経済状況を憂えているのか?
    しょうもないことをわざわざ難しい言葉で表現しているだけですね。

  3. ひどくくだらない話です。
    知性が感じられませんでした。

    1. おもしろいですねwwwあなたのこのコメントには知性が詰まっているのですね?ウケました。

  4. 今日のテーマと上記コメント2件について、私の感じたこと。嶋田さんのコメント、確かに中里さんは文章がうまく、読みやすいです。何気ない日常から感じることを伝えるのは容易ではなく、素晴らしいなと。そして通りすがりさんのコメント、50円のことから何を感じるかは人それぞれですが、今日のテーマからは結局何が伝えたいのかという印象をもってしまうことにも同感です。でも今日この配信で一番感じたことは、同じコメントでもネガティブなニュースの方が影響力が大きい、ということです。自分の感情を外部にコントロールされることなく自ら制御し集中することこそ、大切なんだなと。いつも気付きをありがとうございます。今日のテーマ、私の見えることを伝えましたよ、中里さん。

  5. 食べ物は健康に直結しますから単に安いというだけで衝動買いするのは危険です。万一何かあったとしてもスーパーでも百貨店でも賠償請求できますが、個人商店で明日いなくなるかもしれないような店では商品に問題があっても追求できませんし、お金もないかもしれない。
    賞味期限ぎりぎりか切れているもの、盗難品(サクランボ)かもしれない。
    第二にいくらお金があっても小銭で膨れてる財布をもっている経済観念ではリッチにはなれませんよ。お釣りをパット計算して小銭は少しにしておきましょう。第三に如何に少額であってもパーセントの比率で値差を考えて買い物をすること。ただ、あまり拘り過ぎてあっちこっち買い物をするとその時間の方がもったいないこともありますが。第四に如何に安くても長期保存が効くものなら買ってもいいですが、食糧のように賞味期限が短いものは買いすぎないことです。私の場合は金地金が900円台まで下がった時にはまとめて購入しましたが、長期保有ができて将来値上がりが期待できるものであれば購入をお奨めします。日常生活の中に自分の金銭感覚を磨くせっかく機会を無駄にせず、よく考えて楽しんで感覚を磨きましょう。
    中藤さんは人間性の素晴らしい人ですが、今回のおっちょこちょいなコメントもそれなりに楽しめますよ。私と違って知的な方だと思いますけど日常生活上の知恵は高学歴者もドジな面も
    ありますが、人それぞれ得手不得手があるから人生は面白いのですね。

  6. 通りすがりさん、たまたまさん、今回のメッセージは明確にピンポイントに焦点を当てていないですが、中藤さんが伝えたいことは解かります。たしかにFuzzyですが、日常の出来事の中でどう感じたかが、一歩下がって読み直すと理解できるかと思います。

  7. すみません、玉電さんのおっしゃることも理解できません。
    メッセージが明確じゃなければ、伝えたいことは伝わらないですよね?

    残念ですが、日常をだらだら書くだけでは
    結局何が言いたいかわからない文章だと思います。

  8. 文章を、誰かに何かを伝えるために書くことは、ただ感想を書くだけとはわけが違います。コメントを記入することと、記事を書くことは、実力的に雲泥の差があると言えると思います。そして、これが理解できるのは、実際に自分でやったことがあり、その行動結果を冷静に受け止めることができる人格的器も必要な気がします。確かに、今回は、読解が難しくコメントをすることが難しかったです。でも、たぶん、ここで長く学んでいる人達であれば、記事作成者の意図を汲み取ることも自分の学びである!と自覚されていることでしょう。私は、いつものように朝読み、犬の散歩中と朝ごはんの間考えました。そして、タイトルと最後の部分をピックアップすることで、自分なりに発見を得ることができました。私の解釈は、自分達が行動している範囲内で見ている世界を伝えていくことが、それ以外で活動している人達の参考?になったりする、ということ。インターネット内では、多くの『異なった常識』を持つ人が関わることができます。これは、それぞれが自立していなければ、対立する可能性も高いということ。ですが、第三の案を作り出すためには、この環境が必要であることも、既に多くの人が気づいていることだとも思います。テレビや新聞、その他の情報も、その裏に何があるのかをくみ取ることさえ難しくなっているようですし、その点、こちらへ集まる方々は、私にとって、今ではとても大切な存在となっています。『見えているものを伝える』これは、重要なことだと思います。なぜなら、人一人が関わっていることはどうしても限られてしまうからです。こちらで紹介される世界でご活躍されている方々も、それを自覚され、私のような小さな小さな世界にいる者からすれば、果てしなく大きな世界(多くの人と関わり、多くの国のことを知っていること)でのご活躍にも関わらず、小さな世界でも、自分達と違う世界であれば、ご興味を示される。このことが、一人一人が『見えているものを伝える』ことの大切さなのだと思いました。気づき(解釈)が、個々で違うことをメリットにできれば、最終的に、自らを助ける一歩になるのでしょうね。難しい課題でしたが、とても勉強になりました。これからも、注目していこうと思います。

  9. いつも読ませていただいております。
    今回初めてコメントさせていただきます。
    「足りますか?」
    「うん・・・ありがとう」
    短い言葉のやり取りとその場の描写の表現力
    そしてその後の気づきの広がりに
    文章の奥のほうからにじみ出る深い思いに感銘を受けました。
    その瞬間に相手の立場になって
    その感情を感じることができる中藤さん
    それを文章で伝えることができるチカラ
    すべてを感じとることも伝えることもできない私ですが
    中藤さんのように見えないものを感じられるような
    思いやりの価値のわかる魅力を高めていきたいです。

  10. 何が言いたいんでしょうか?八百屋のおばさんの生活が苦しいことがわかったってことですか?貧しい人をたすけましょうってことですか?お金を渡す時点で、小銭を数えずに店主に数えさせること自体、理解できませんが。しかも多いって分かってたんですよね。おばさんも忙しかったんでしょう。買い物するときは自分で確認してからお金を渡したほうがいいですよ。

    1.  哲学ですね。

      返事のコメントも中々。
      皆さん、そんな思いで書き込みをしている

      そんな僕は、70年代の歌謡曲を聴きながら投稿しています

  11. いろんな方々のコメントを読んで考えさせられました。
    わたしが中藤さんの今回の気付きを正しく理解出来たかどうかは分かりませんが、
    こんな感じでしょうか?
    日頃、車のような値段の張る大きな買い物をするときは、150万が200万円になっても
    あまり大きな損をしたようには思わない。(生活に困るような状態になるとも思えないから?)
    しかし、その自分が、野菜などを買うときにはたった100円のものが50円上がっただけで、
    大損をしたような気持ちにもなる。この50円は自分の生活に何の影響も与えないのだが
    何かしら文句を言いたくなる自分のあさましさ。
    一方で50円の値上がりで生活していけるか行けないかの状態にある生活者の労苦を何も
    理解していなかった自分に気付き深く考えさせられた。
    読者にもこんな心境を知っていただけたらと、感じたまま見たままを発信してみた。

    わたしの文章も分かりにくいかもしれませんがこんな感じに理解しましたがいかがでしょうか。

  12. 一つの文章に対して、それぞれの価値観に基づいた、様々なコメント(解釈・批判)が皆様から寄せられているのを拝見して、改めて人間というのは、面白い動物だなぁ~と感心致しました。一つの事象を観察した際に自分1人では得られ難い、多面的な観点からの解釈や認識に触れられ、共有することができる、このようなコメント欄は非常に学び多き場でありますね。そして、この場が私を含めまして、皆様の “セレンディピティ” に結びつくことを願っております。中里様、今後も白熱するような問題提起、期待しております。

  13. 私は教育系の仕事をしていた者です。今回のこのコラムは大変読みやすく、読み物として楽しむことができました。感銘を受けたところで、批判コメントを見つけて驚いた次第です。とりたてて批判を入れる類のものではないと思うのですが、批判する人たちは、このコラムに「答え」がないことに苛立ったのだろうと感じました。教科書や教師の話には答えがあるものだ、というアップダウンの生活に慣れ過ぎ、自分から情報を探すなり、考察するなりして自分自身の答えを見つけ出すという訓練になれていない為だろうと感じたのです。このコラムは、それぞれ個人が考察し、気づく為の「きっかけ」を与えているにすぎません。わからないからといって批判するのは、短絡に過ぎます。

  14. この文から気づいた私の見解を入れるのを忘れていました。まず、「小さな店」というのは、生産者が自分で生産した商品を売っている店のことかもしれません。そして、その店は売れていない→生活が苦しい→農家の崩壊というシナリオが見えました。生活できないなら、農家なんてやめるしかない。戦中戦後、食料事情であれだけ苦労した日本が、食料生産の重要性について、どうして誰も声をあげないのでしょうか。いえ、声はあげているのでしょうが、まるで根を張って行かないように思えます。この先、絶対に戦争なんてないと言えますか?人口爆発でも、他国から食料を買い続けることができると思っているのですか?貧しい国の人々が何万人も餓死者を出しても、日本は自分で食料を作らずに、お金を払って食料を世界中から買いあさるのでしょうか。お金さえあればなんでもできると、いつまで信じているのでしょうか。車より、お米や野菜の方が大事だと、どうして誰も気づかないのでしょうか。

  15. 意見が真っ二つに分かれていますね。
    私も何度か読み返して、やっとゴールにたどり着きました。よくよく読んでみると、確かに軸はきちんと定まっているのですが、ストリームが悪い、又は、例えが悪かったような気がします。
    まず途中の50円の下りがミスリードを誘いやすいです。流れからして、「車を購入するときの50円の差額と野菜を買う時の50円の差額は違う。後者の差額はとても大きい⇒些細なことだけど、その差額を大切にする感性が大事」といった類のストーリーを、読み手は少なからず想定していたはずです。
    それが、数十円で生きるか死ぬかという予想以上にダイナミックな話になりすぎて、しかも予想とは全然違う方向に着地したので、「理解しづらい」のだと思いました。

    学びのある、良い内容である分、勿体ないような気がします。
    「よく読んで理解できる」ではなく、「すぐ理解できる」文章が書けるように、
    私も気を付けなければと思いました。

  16. 予期せぬ方向での賑わいかもしれませんが、問題提起が出来た・・・と捉えれば、今回の記事は成功と言えるのかもしれません。僕個人としては否定的な感想は皆無で、むしろ中藤さんの心理描写が現れていて興味深く読む事が出来ました。赤の大文字になっている箇所が思考の転換点と思われ、表面的には同じものでも置かれた立場により価値観は大きく変わるという事については同感です。今回の出来事を俯瞰して見ながら、自身の存在意義を見つめ直す気づきを得られた事が中藤さんの思う所と感じました。これが正解かどうか、正直それはどうでも良い事でまずそこから何を感じるか?何を学べるか?を意識する事が大切ではないでしょうか。それと、酒林ゆきさんがコメントで仰っていましたが、記事にリアクションをしてコメントするのと、自ら発信者になるのでは難易度が全く違います。ですので、著者の方には敬意を表してコメントは『面と向かってその人に言えるかどうか?』を判断基準にすると、生産的になると個人的に思います。

  17. これって、貧困の問題提起じゃないですか?でも、貧乏な人にお金をあげましょうじゃ何も解決しない。その人がかわいそうだからって、養ってあげることもできない。だからみんなで考えましょうねってメッセージだと受け取りました。生活保護者が増えすぎて、日本はパンク寸前。どうすればいいのでしょうか。もちろん、私にもいい答えは見つからないのですが。

  18. 筆者とコメンターのバトルまたはコラボレーションが面白いです。人それぞれにコンテキストやパースペクションの違いがあるので受け取る印象がさまざまなようです。特にあいまいな刺激の場合はポジティブとネガティブの振り幅が大きいようです。こうゆう時は自分を理解するいいチャンスだと思います。私のケースでは”商店主は侮辱されたと感じたのでは”という印象ですから、これはネガティブです。ポジティブ方向に少しハンドルを切りなおす必要があると気づきました。中藤さんありがとうございました。

  19. 俺、電波なのかな?
    こんなコメントにします。
    「色々な立場の人って、いますよね。
    誠実に生きようと、戒めの言葉を口にしたり、こうありたいと言って頑張る人がいたり。
    そうかと思うと、その言葉を聞いてシメシメと戒めを口にした人を責める為に、あるいは自分の手柄にする為に同じ言葉を口にする人がいたり。しかも、共感を得たりして。気分悪い。」

  20. おおっ!これは、なかなか素晴らしい空間になりましたね♪最近、インターネット内で勉強していると、モルツさんのデイリーインスピレーションの広告をよく見かけます。そんなとき、「おっ!頑張れ!」なんて声をかけてしまいます(笑)きっと、いろんな分野の方々に読まれるようになるのだろうな。なんて、思ってました。こちら、ネクストリーダーも、皆様、意識の高い方が読んでおられるのですね。たいへん勉強になりました。今回の記事は『直感力』を磨いてくれるものでもあるような?…そして、コピーライティングのテクニックで、…確か?「ミスをしてみる」?でしたっけ?がありました。かなり高度ですが、想像力も使用する内容に仕上げるコピーは、稀であり、上級ですね!吉永さんも、一番最初の記事で、二極化したコメントがあり、その後、その説明がされていて、サプライズだったことを覚えています。『素材』をどのように発展させるか、どのように表現するか、本当に面白いですよね♪コピーも、物が売れるためにはそれなりの内容を!器を広げるためにはまたそれなりの内容で!リーダーシップの訓練のためには、またまたそれなりの内容に!いやはや、勉強になりました。学びとはいいものですねぇ~。

  21. 皆さん色々な意見がありますね。
    私はモルツ博士のイメージプログラムを最近始めた者です。一つの文章で色々なとらえ方があるのだと思いました。誹謗的な意見以外は、何を言っても(どの様にとらえても)良いと思います。
    皆さんの意見は勉強になりました。答えを求めている人は、自分を短期間で向上したいと思う向上心がある人なのでしょうし、背景(本人の感じ方)を考える人は、広い視野で物事をとらえ、客観視できる人なのだと思います。私はまだまだ勉強中ですが、頑張りたいと思います。

  22.  人の見方ってほんとうにさまざま!
    八百屋とのやり取りでこれほど自分の志向性を伸ばせるってそれは、すごいことだろうと思います。しかし、この短いやり取りで私は八百屋の気持ちを考えてしまいました。
     モノを売る時にだって感情が働くはずでしょう。ガサガサと無造作に渡された小銭の塊を見せられた時に八百屋は果たしてどう思ったか?
     私は余り良い気分はしなかったのではないかと思います。
     以前アメリカの町で買い物をするたびに売るほうも買うほうも「thanks」と言い合う光景をいつも目にして「おや?」と思った私は、自分も勇気をだして言ってみました。
     すると自分が買うときにはつい「買ってやってる」っていう上から目線になっていることに気づきました。「ありがとう」って何に対して感謝しているのかはじめはわかりません。言ってみると、自分は相手が品物をお金と交換してくれたことやそのために時間を割いてくれたことや、自分に買うお金があってよかったことや、もろもろのことに感謝するのかなと思えるようになりました。行動してみるとわかることは多いです。

     全く一つの事象について人それぞれにいろいろな見方があるものですね。
    コメントが多いってことは、他人の心を揺さぶったってことでもありますね(^^)

  23. 店主は払いすぎだと思ったが、金持ちが貧乏人に恵んでくれたのだと思い、不快だが受け取ったのかもしれない。
    または
    店主はお金が足りないと思ったが、貧乏な人みたいだからまけてあげようと思ったかもしれない。
    一方中藤氏は、貧乏な人に余分にお金を盗られたと思った。
    コミュニケーション不足のせいでどちらも不快な思いをしている。

  24. これ、なにかの展開に似ているな、とずっと考えていたのですが。わが妻のおしゃべりと似ていることに気づきました。朝から晩までぺらぺらとよくしゃべる愚妻で、だいたいがどうでもいい無駄話。ほとんど聞き流してしまうのですが、よく聞いてみれば「消費者」としての観点だったり、「地域社会」についてや「学校」のこと、「一人の親としての考え方」など、さまざまなヒントが詰め込まれているのです。それらを「無駄話」として一蹴するか、「ヒントのるつぼ」として聞き耳を立てるかで、人生で得られるものがだいぶ変わるように思います。今回のこのお話、「無駄」「意味がない」と一蹴された方もいれば、ここから「意味」を掘り出した方もいる。ヒントは生活のどこにでも転がっていて、それに気づけるかどうかが、人生の分かれ目を作るのかもしれないな、と思いました。

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