アメリカの、地下鉄の駅で・・・

from 杉本

アメリカのワシントンポスト紙で、
ある実験が行なわれました。

それは、2007年1月12日に行なわれ、
同年4月8日の同紙に掲載されました。

この実験は同日の朝、
7時51分から43分間にわたって
首都ワシントンの地下鉄の駅
「ランファン・プラザ」で行われました。

この日は金曜日で、
駅周辺は、東京では「霞が関」のような、
連邦政府の役所が建ち並ぶ官庁街です。

ちょうどラッシュアワー時で、
駅からは勤め先に急ぐ人々が
毎時千人以上、吐き出されています。

そんな所で、ジーンズにTシャツを着、
野球帽を被った、若づくりの男が、
バイオリンを弾くのです。

その様子を、ビデオカメラが、
見えないところから撮影します。

曲目はすべてクラッシックです。

問題は、演奏する人ですが、
この演奏家は、アメリカで人気のバイオリニスト、
ジョシュア・ベル氏で、
弾いていたバイオリンは、
3億円以上の値がつくといわれる
世界的な名器「ストラディバリウス」。

ジョシュア・ベルは
その3日前に、ボストンのシンフォニー・ホールで、
演奏会を行なったところで、
もちろん、満席でした。

彼は1分間で、1000ドル稼ぐ
ともいわれている演奏家です。

その実験の目的は、こうでした。

「ありふれた環境で、都合の悪い時間に、
私たちは美を認知するか?
足を止めてそれを観賞するか?
予想できない状況でも才能を認知するか?」

ユーチューブにアップされている
この日の様子を、まずご覧になってみて下さい。

いかがでしたか?

ほとんど誰も立ち止まらず
通り過ぎていましたよね。

でも、最後の方で何人かが立ち止まり、
聞いていました。

演奏が終わったとき、
一人の女性が、
彼に話しかけているのを、
ご覧になりましたか?

彼女の名前は、ステイシー古川さん。

アメリカ合衆国商務省で
人口統計の仕事に携わっている方です。

彼女は、クラシック愛好家ではなかったのですが、
以前ジョシュア・ベルが、
国会図書館で、無料コンサートに出演したときに、
聴いていたので、野球帽をかぶっていても、
彼だと分かりました。

彼女は、後のインタビューでこう言いました。

「私が駅で見たのは、
最も素晴らしい光景でした。

ジョシュア・ベルが、
ラッシュアワーの時間帯に、
そこに立って演奏しているのです。

でも、人々は止まりも、また、見さえもしません。

何人かの人は、彼の前に置かれている、
バイオリンケースに、
25セントを、投げ入れていました。

25セントですよ!

全く、こんなことが起こるなんて、
一体、どんな都市に、私は暮らしているのかしら」

彼女は彼に、20ドルを渡したのですが、
その金額を除いて、
バイオリンケースに集まったお金は
32ドル17セントでした。

ある人は、この映像を見て、
「一流の演奏家が名器を使って弾く音楽も、
『心そこに非ず』の状態の、千人の人々にとっては、
「存在しなかった」のである」

とコメントしました。

また別の方からは、
「われわれは、日常の中に存在している、
価値あるものに気づきもせず、
見逃しているのではないか?」

という意見もありました。

さて、あなたはこの実験から
どんなことを感じましたか?

ここから何を感じるのかは、
人によって、意見は随分、
異なるかも知れません。

ぜひコメントしていただき、
みんなで学び合いましょう。

育自コンサルタント
−自分を育てるお手伝い−

杉本恵洋(すぎもと しげひろ)

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31 thoughts on “アメリカの、地下鉄の駅で・・・

  1. 心に余裕がなければ人は目の前にある視界に入っているはずの素晴らしい価値にも気づけないのですね。どんなときでも少しはゆとりをもって当たり前を当たり前と思わず、全てを非日常だと思って常にまるで何かを探しているかのように生きようと思います。まずは今日の1日から。

  2. 状況が適切でなければ人は価値あるものにも気づかないのですね。
    逆に、才能や能力があるのにも関わらずアピール方法が適切でないために埋もれる人材が世に溢れているのかもしれないと考えられないでしょうか。

    「状況」についてもっと意識的であれば様々な可能性が開けるように感じます。

  3. これが日本で、バイオリンに興味が無い私でも知っている、高嶋ちさ子さんや川井郁子さんが演奏されていたとし、一瞬見てご本人だと気づいたとしても、「演奏しているんだ」と思う程度で通勤途中に足を止めることはないですね。出勤し、自分にはやらなくてはいけない仕事があります。これが休日であれば話しは別でしょうが・・・。要はその時々のその人の優先順位がどこにあるかの問題だと思いますが・・・。足を止めた人が「美」で止めなかった人が「愚」だとは思いません。25セントでもバイオリンケースに入れた人の心の余裕は「褒」だと思います。

  4. ただ単にこの方を知っている人が、これだけだったとゆうことでしょうか?

  5. 人は意識…思考で動く生き物だから…

    立ち止まった人達は、日頃からいろんな事を
    受けとれる人達なんでしょうね…

    心の余裕…意識、とても、とても大切ですね。

    “忙しい”…は心を亡くすと書きますよね…納得ですね。

  6. 一期一会の法則。これは、この世に存在する全てのものに当てはまると思います。この奥の深い意味を理解している人は、きっと、その音色に気づいたことでしょう。感じる力は、鍛えれば数秒で多くをキャッチできます。そして、忙しいが結果を残し幸せである人ほど、一瞬の高貴な存在をキャッチし、自分に取り入れ、癒しという幸せを手に入れるはずです。数秒なら、その後30分もあれば挽回できます。今日町ですれ違った人が、実はすごい人だった!なんてことも多いのかもしれません。常に、自分の欲しいものを自覚していれば、そのチャンスの種を拾い逃すことはないでしょう。拾い逃してしまったなら、その時の自分が実力が足りなかっただけ。だから、もっと精進すればいい。たぶん、たったそれだけのことなのでしょう。動画は、まだ見ていませんが、見たいと思っています。
    補足・自分の価値も同じことが言えるのでしょうね!

  7. 「われわれは、日常の中に存在している、
    価値あるものに気づきもせず、
    見逃しているのではないか?」

    この言葉が一番心に残りました。

    僕たちは、毎日の生活に心を奪われることで、
    本来なら大きな価値を持っている存在にまったく
    気づかずに生きているのではないでしょうか。

    娘、息子、妻、夫、友人、同僚・・・
    一人一人が価値あるものなのに。

    ちょっとだけアンテナの感度を上げれば、
    自分の周りには価値あるものが溢れている
    のかもしれません。

    そして、自分自身も。

  8. 昨今の世相(日本を含めて)から”さもありなん”とは思いますが、驚いてもいます!
    人により価値観は異なるとしても、日常の中で、本当に価値・大切な意味の有る事、物に気付かないでいることが沢山あるのではないか?と心配すると共にーーこれで良いのか?と痛切に感じました。

  9. いつも面白い話題をありがとうございます。
    その演奏をほんの聞き流し程度で聞いた大多数の方たちの、その日の生活を追っかけていないので、なんとも結論は出せません。以前毎月行われるイベントでいつもバタバタと帰路を急ぐ人たちがおりますが、クラシックのコンサートを特別に主催した日に限って、優雅な様相でお帰りになってました。短期的な視点と長期的な視点の両方で物事は考えた方が良いと思います。たとえその場では本人も気付いていなくても、その日の生活にかなりの変化を起こしているかもしれません。御社がご提供のプログラムってそういうものではありませんか?

  10. 先入観がどれだけ重要なのかを感じ取れた。
    ただ、この日あの場所を通った人のなかで、実際にクラシック演奏に興味があった人はどの程度いたのだろうか?
    元々クラシック演奏に興味の無い人は、彼が誰で、3億円する名器を使っていたと知っていても、
    特に足を止めることは無いと思う。

  11. ある式典で、3曲のバッハのコラールが抑揚の効いた演奏でずっと繰り返し演奏されました。
    私は、申し訳ありませんが、式典そっちのけでバッハの旋律に聴き惚れておりました。
    これだけでも式典に来た隗があったと思いました。
    ところが、壇上の当時の総理大臣の鳩山さんは「何で俺がこんな所に何時までも居なければならないんだ。早く終んねえかな。」というような顔つきで辺りをきょろきょろ見回していました。
    そんなもんなんでしょう。

  12. 心の余裕を持って、生きたいですね。
    目の前にある宝に気付くためにも。

  13. 色んな意味で「余裕」がないと生けない。
    ということを再認識させてもらいました。
    大きな、ヒントを頂戴した気がします。
    これが幸せの近道であるのではないかと・・・

  14. 有名でセクシーなストリッパーがダンスをしていれば、違った結果になったかもしれない。

    空気と健康以外の価値は人それぞれで、
    バイオリストやバイオリンの価値は相対的価値であり、絶対的価値では無い。

    お金で換算された相対的価値を人に強要はしないでしょう。

    自分にとって価値あるものだけに興味を持ち、他人の価値観に左右されずに生活する事を大切にして生きていきたいが、ままならない。

    有名なバイオリストの価値

  15. ちょっとしたプロと、世界的に有名な人の演奏の違いは、わかる人にはわかりますが、わからない人には、わからないだろう。というのが、私の意見です。あまりに下手だったらそれは違いがわかります。よく芸能人の格付け番組で、ストラディバリウスと安価なヴァイオリンの音色を聞き分けるなんていうのがありましたが、わからない人は結構います。
    ワインでも、建築でも、どんなものでも同じだと思います。専門家やそれに精通している人には本当の良さはわかるけれど、それに関しての深い洞察をした経験のない人にはそんなに違いがわかりません。それは仕方のない事だと私は思います。
    例え忙しい状態だとしても、耳が肥えている人には、それは届きます。
    恐らく単純に、それほど音楽に関しての深い理解のある人がそのタイミングでそこを通っていないという事だと思います。

  16. 動画を見てみました。とても不思議でした。「なぜ、振り向きもしない人がいるのだろう?」と。
    そして、私がなぜこのように思ったのかも考えてみました。
    (自分を見つめてみます)私の場合、「人」の場合もそうですが、目に見えているものではなく、その裏にあるものを感じることに気をつけているのだということが、今、分かりました。そして、もしそれがよく分からなければ、質問のできるものにはし、できないものには自分で調べたり、誰かに聞いて、その分からないことの答えを見つけるのだと思います。ここで、通り過ぎてしまった人は、音だけが耳に入っていたのでしょう。その音の向こうにある輝きに気づかなかったのです。音には、音を出しているものがあるはずです。そして、その音の種類も無機質なのか、魂が込められたものかが、普段のその人の気をつけ方で分かるはずです。音や物や人など、見た目は違いますが、『本物』には共通したものがあります。引きつけられずにはすまされない輝きを持っています。そして、その輝きの向こうには必ずといっていいほど闇の部分がある・・・と、今の私は思っています。闇というか・・?・・陰というか・・?・・裏というか・・?・・です。この輝きが分かってしまえば、多くの人や物の中から素晴らしきものを探し当てることができるようになってくると思います。この能力が高い人ほど、成功者と言われているのではないか?・・・今はそのくらいしか私には分かりません。この出来事は、とても多くのヒントがあります。例えば、ある分野では、超有名な人も、違う分野の環境に入れば、注目さえされないということです。これは、井の中の蛙であることを示しているとも思います。だから、超有名な人達は、皆様謙虚で、成長意欲が高い。演奏者なら、きっと、どんな場面でも、どのような時も、足を止めてもらえるような演奏がしたい!などと考えられるのではないでしょうか・・・。いやはや、本当に面白い実験です。(パソコンから記入)

  17. 映画でも、演奏会でも、行きたい、見たい、聞きたいとの思いが大きなとき、それに向けての準備に入ります。チケットを買って予定を立てて、心の高揚度もましていきます。そのすべてが整うのが、映画であり、演奏会です。自分がその空間に入り、したり、満足したいという欲求をすべて満たそうとします。普段はその準備ができていません。残念なことですが、他に意識が行っています。でも、日常の中に些細な、偶然や奇跡が潜んでいるかもしれないという認識を持つことができました。

  18. 元々のこの実験の趣旨が何なのか知りたいものです。 地下鉄駅構内の通行人の反応は人間の脳の働きの結果そのものです。 このメルマガでのプレゼンテーションに従って第三者の目でこのビデオクリップを観れば殆どのコメントの内容は期待通りのものと言えます。 (コメントの善し悪しを言っているのではありません。)  脳は私達が受け取る膨大な量の情報処理を即断即決しながら安全且つ滞りなく生きて行く事が出来る様に働いています。 朝の通勤時の駅で誰かがバイオリンを弾いていると言うのは脳にとっては全く予期していない事で、例えばこれから始る朝の会議の事を考えている人にとっては注意を払う暇は無いのが当然でしょう。 これを余裕が無いと批判するか、世知辛いと言うか、又は仕事に対する責任感が強いと判断するかは各人それぞれです。 このバイオリン演奏が仕事が引ける時の地下鉄構内だったら恐らく通行人の反応はかなり違うものだと予想します。 

  19. これは実験する側も予想通りの結果になったんじゃないですかね。予想通りだけどここまで立ち止まらないか・・・、くらいの感じじゃないですかね。朝はずるいですよ。しょうがない。
    とはいっても、これがもし、結果がこうはならなくて、多くの人が立ち止まって演奏に耳を傾けていたとしたら・・・素敵だと思います。クラシックがわかる、わからないではなくて。心にゆとりのある姿勢が素晴らしいと思います。時間もゆとりを持たさないとだめですね。心にゆとりを。大切ですね。

  20. 認知リソースの実験画像を思い出しました。ボールのシュートの回数を数えていると、ほとんどの人はぬいぐるみの熊さんがウロウロしているのに全く気が着かないという実験です。つまり通行人の大半は安全に通行したり、時間を気にしたり、朝一の仕事の事を考えたりしながら歩いているので、認知リソースを全て使い果たしてしまっている。それでバイオリンの音さえ聞こえない状態ではないかと思うのです。だとすれば結果はきわめて自然な事だと思います。それを知っている上で何らかの意味づけが行われるとしたら”モットー中島”さんが言うように、むしろ実験の趣旨の方に興味があります。

  21. その実験の目的は、こうでした。

    「ありふれた環境で、都合の悪い時間に、
    私たちは美を認知するか?
    足を止めてそれを観賞するか?
    予想できない状況でも才能を認知するか?」
    ————————————————————-
    足を止めない人達の中にも、美を認知した人はきっと居たでしょう。疑問に思うのは この実験で美や才能を認知したか確かめるのに、足を止めた人にインタビューする以外、他に方法はあったのでしょうか。

    それらをチップの額の大きさや、声を掛けてくる 事や ある一定時間鑑賞する など何かハッキリした行動の現れで測るならば、それは美や才能を認知したかどうかよりも、その認知した美や才能に価値を感じたかどうかが要因だと思います。
    価値 = 利用価値

    だと思っています。
    それから、人が”利用価値”を感じる時は、環境 と タイミングが大きく影響しています。
    仮に、この実験での 価値 の定義が、人々の足を止めて聴き入る行動や、チップの額の大きさであるならば、優れたバイオリニストの演奏も、ほとんど価値が無かったと言えます。ただ、足早に通り過ぎていった人達の中にも心の中では、何か感じていたかもしれませんね。因みに、私は音楽を神聖なものだと思っています。だからどうこうって事では無く、つまり音楽そのものを軽視するつもりは、更々ありません。

    お国柄と言うか、素晴らしいものにチップをあげる風習や、忙しい中でも心にゆとりを持つ大切さは理解出来ます。

    個人的に、この実験から分かった事は、人々がどんな環境でも美や才能を認知したり、足を止めて鑑賞するかどおかよりも、どんなに素晴らしいものでも人から行動や対価を得る為には付加価値(利用価値)が必要になると言う事。

    ジョシュア•ベルと言う才能ある演奏家がいて、最初に彼の演奏に価値を見出せる人達の中で評価され、それが関係者の間で広がって行き、最終的に一般の人達に彼を宣伝する人がいて、彼の演奏に価値を感じる人達を沢山集める人がいて、シンフォニー•ホールを準備する人がいてコンサートを運営する人がいて、始めて 一分間あたり1000ドル稼ぐ事も可能に成るはずです。決してジョシュア•ベル一人の力だけで無い事は確かです。
    だからジョシュア•ベルが本人と分からない様に、普段と全く違う環境で一定時間演奏したからと言ってチップの額が幾らぐらいが適当だとか、そんな話しではないだろうし、足を止める人が少なくても悲観視する必要はないと思います。
    実験の動画は、大変面白く気付かされる事があり、ちょっと感動しました。。

  22. これは「価値」ではなく「テーマ」の問題だと思います。
    人はそれぞれテーマを持っており、その時々のテーマを実現しようと行動しています。中にはすごいバイオリニストだと思っても、自分の目的を優先して通り過ぎた人もいるかもしれません。
    どんなに素晴らしい演奏でも喫茶店のBGMであったら、相手との話に夢中になるでしょう。
    これはごく当然の行動であって、価値があるからといちいち立ち止まっていたら都会は歩けないでしょう。

  23. 以前、有名な一流レーサーが一般人として教習所に通って教官から怒られまくっているのをテレビで見たのを思い出しました。まあ、実際にその辺で普通のおじさんが絵を書いているのを見て、その絵があまり上手いと言えないように見えても、ふと見かけた個展でそのおじさんが有名な画家であるのを知って驚くようなパターンはありますよね。
    気づかなければ、よく分からない、ということでしょう。
    しかし、この動画を見て思うことは、気づかないところに素晴らしいものがたくさんあるので、もっと意識を広げていろんな物事に注意を払った方がいいということですね。

  24. 実験の趣旨が難なのか?見向きもしないのは心が他のために働いているからなんでしょうね!
    彼の他の演奏を効いてみましたが、こころヶ震えました。でも実験ではそこまでの効果はありません。
    うまい下手、有名、無名に関わらずそこに集う人の心のあり方のように思えます。与える側と受けとる側の関係であるとしたら、受けとる側の方が大きいのかな?今まで与えられているのに振り向きもしなかったものが一杯あったかも知れないと感じます。外から見るとよくわかるのが面白いです。

  25. このときのジョシュアの演奏にまったくオーラがなかったということです。

    一流のプロが高価な楽器を持てばいつでも最高の演奏ができるというわけではありません。

  26. スコトーマという言葉があります。脳は目から入るあらゆる情報を見ていますが、自分にとって重要でないと判断したものに対してはスルーします。多くの人にとって、その音楽は重要ではなかったのでしょう。

  27. 「知らない」ということが、どれだけのチャンスを逃しているかを
    考えさせられました。

    例えば誰もが知っている有名歌手(例えばマライアキャリー)とかが
    誰も目につかない平凡な服装で歌っていたとしても、
    誰もが知る歌声なので、みんなの立ち止まって聴くだろうと思います。

    無用、有用に関わらず、「知識、見識」が多いということは
    それだけチャンスや運を掴みやすいということなのかもしれないです。

  28. 『人は作られた価値観で行動するのかな?』と思いました。本当に共鳴した人がいれば立ち止まって聴き入っていたかも知れませんが、コンサート会場がいっぱいになるような肩書きが無いと立ち止まることもしないのでしょうね。私たちの行動は自分で決めているようで、回りの意見などに左右されていることが多いのかもしれないですね。もしかしたら今は輝いているようには見えないたくさんの方が、本当は輝く物をそれぞれに持っているのかもしれませんね。『今は埋もれているだけ』そう思ったら人生すこしは楽しくなりそうな気がしました。

  29. 興味深いお話をありがとうございました。
    環境によって、価値は変わるものなのだと思いました。
    気持ちと時間にゆとりがあってこそ、美を感じ取ることもできるのかもしれません。
    車で走っては、町の片隅に咲く花に気がつくことはできませんものね。
    時間や仕事に追われている生活の中では、大切な事を見失うことも多いでしょう。
    残念ですが、それが現実だと思いました。
    身近にある美に気がつくことができれば、人生もっと楽しくなるのかもしれませんね。

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