FROM 岡崎哲也
先日、友人のセミナーに参加した時、ある気付きが
あったのでシェアさせて頂きますね。
4人1組のチームでワークをしたのですが、
とても運良く、感じのいい人達に恵まれて
セミナーが終わっても、なかなかお話しが
尽きませんでした。
その中の1人は、
50代ほどのかなりお太りになられた女性の
知的障がい施設のマネージャーでした。
最初は、ちょっと複雑な気持ちになったのです。
理由は、障がい者は、サポートは必要だけど、
自分達も忙しく、どのように関わっていいのか
とまどいがあったからでした。
ですがその方が言うには、障がいというのは、
人が風邪をひいた時に、咳をしたり、鼻水が出たり、
くしゃみをしたり、熱が出たりするのと
同じなんだそうです。
障がいの人は、たまたまそういったカタチで
出ているだけだとか。
例えば、ある子供が書いた白菜の漢字をよく見ると、
”菜”の中心の上にある点々の数がたくさんあった
そうなんですね。
それを見て、そのマネージャーは、
どうされたと思いますか?
「あ、ほんと、白菜って葉っぱがたくさんあるよね!!」
そう言ってその子を思わず抱きしめたそうなんです。
その話しを聞いた時、
「この人は、なんて愛が深いんだ!」
と思いました。
なぜならば、ありのままのその子供の存在を
受け入れたように感じたからです。
そして私自身まで受け入れられた感じがしました。
さらにそのマネージャーは、続けます。
施設の子供たちを連れて、ディズニーランドに行った時、
ある子供は、ミッキーやミニーのフェスティバルを
見たい、でもあの映像と音楽が怖い。でも見たい。
そんな感じで、両手で耳を塞ぎながら、チラっと見て、
そして目をつぶってさっと後ろを振り返って、
でもまたチラッと見て、この動作を繰り返していたそうです。
普通に見れば、ちょっと変な人ですよね。
ですが、そのマネージャーは、
「このしぐさを見ていると、もう可愛くて可愛くて
抱きしめたくなるんですよね。」
と屈託のない笑顔で話してくれたのです。
「おっかー!!」
私は思わず胸に飛び込んでいこうかと思いましたよ。
横綱級のその女性が、まるで日本の母のように
感じ、後光が指して見えたんですね。
ところであなたにとって人間らしさって、何でしょうか?
そして人間の愛おしさって、どこからくるのでしょうか?
私は、いくつになっても天真爛漫な姿に心惹かれ、
自分もそうありたいと思っています。
あなたの想いを教えてくださいね。
岡崎哲也
PS:なりたい自分になるには、
セルフイメージが重要です。
あの菜の字、白菜の葉っぱが沢山あるようにも見えますが、包丁で、綺麗にきざんだ後のようにも見えます。
だれか、身近な人が調理する姿をイメージして、その姿を自分なりに素直な気持ちで、絵に表したのかも知れません。
人間らしさとは?・・・ん~即答できないですねぇぇ。このような当たり前に分かっていると自分が思っていることを書き出すことは、とても深い理解につながります。~私の考える人間らしさとは?・・『らしさ』とは、何かとくらべるから導き出せるものではないでしょうか?そうするとこの場合、人間以外の生き物とくらべることになります。すると、知能の発達が思い浮かんでしまいますが、この知能の発達だけでは「人間らしさ」を説明するには不十分な気がします。知能の発達した、そして、生き物として基礎となる感情を持ちながらその知能を仲間のために役立てることに喜びを感じる・・これがプラス的な人間らしさではないでしょうか?そして、悲しいことにこの真逆も存在する気もします。だからこそ、これを表に出さないために、自己を律する力(理性や良心)を持つことも、人間として産まれてきた生物としての責任のような気がします。さらに、これを次世代へ受け継ぐことも仕事の一つでしょう。~まっ、こんな重たい分野は、天真爛漫でなければ考えていたら闇に飲まれてしまいますよね!~さてさて、今日も、天真爛漫を目指して頑張るぞヽ(^。^)ノ
「菜」のつく友達がいるので、教えてあげようと思います♪
だいぶ前に、年配の人(おばあさん)が、話の内容は忘れましたが、恥ずかしそうに
顔を赤らめて話していることがあって、いつまでも少女のようで可愛いなぁと思いました。
(可愛らしさ、これがいとおしさだったのかな。)
そんなことを思い出しました。
その人は、人間らしいというより菩薩らしいがぴったりきますね。
人間っていい面もありますが、悪い面もひっくるめての人間ですもんね。
そんな人間が好きですね。
ドラマなんて不幸がないと視聴率とれないですからね。
初めから終わりまでハッピーしかないドラマって、ありましたっけ?
人間は、不幸が大好きなのですw
愛って、理屈抜きなんですよね。自分の中の愛を触発して発露させてくれるもの、大切にしたいと思います。
良いお話でした。 私もアメリカで障害者関係の仕事に携わっていますが、記事中のマネージャーの様に愛に溢れた方々がかなりの割合で居ます。 ある日本の障害者関連の方の一言が心に深く染みました。 曰く「障害者は幸せなんですよ、ただ不運だったんです」と。 それを聞いて即座に思ったのは 「私達健常者は幸運だったのに必ずしも幸せではないんだな~」と・・・・
それは兎も角、最近のネット記事にはオカシナ敬語が溢れている事が気になります。 <50代ほどのかなりお太りになられた女性>失礼ながらこれは不自然です。
障害者と言われている人達を、ライターの岡崎様と同じで、私達の市でも、”害”の漢字を使いません。なぜ使わないかと言うと、全然”害”じゃなく、素直に人間らしく、子供の様に、懸命に生きているし、生きて欲しいと思っているからです。むしろ健常者と言っている私達が、違う目で見ている偏見に大きな間違いを犯している感じがします。懸命に生きている人達が困っていれば、助けて上げたいと思うのが普通じゃないですか。思いが行動に出ずに居る人が多いような気がします。そこから一歩踏み出すと、素晴しい別の自分がいる事を知って頂きたいと思います。その様な人達が多くなって欲しいと思います。
私も福祉の仕事に携わっていますが、この仕事に携わっている人たちで、
「精神的、経済的余裕があってかつ社会に貢献したい人」たちは、人間的に本当に素晴らしい方が多いです。一方「経済的余裕、スキルが他になくこの仕事で生計を立てようと必死になっている人たち」の中には残念ながら一般の社会で通用しない本当に非常識な人が多いのも事実です。私も前者のような人たちになりたいのでビジネスを余暇に勉強し余裕を持って福祉事業に携わっていきたいと思っています。
仕事で関わるのと家庭の中で係わるのでは、障がい者に対する思いは大きく変わります
人間らしさなんて、良い面ばかりではないのです。
施設に通うことも、家庭の中もつきっきりの母親を知っていますが、困難を受け入れた気丈な人間力
大きな愛以上の産んだ責任、自分が生きている限りは親として
人間として義務を果たす・・・その尊大さ、心折れることなく全うできますように
よりたくさんの人々の支え、祝福があたえられるように願ってしまいます。
ひとごと、語り方次第ですね。あらためてプラス思考で人生乗りきりたいと思いました。
深いお話ですね。ありのまま受け入れることができる方って、すばらしいですね。
私も自分や子どもや周りのことに対して、ありのままに受け入れることを心掛けます。
ありがとうございました。
白菜の菜のたくさんのてんてん・・・、普通でしたら 間違いを正そうとして叱ったり直そうとしたり、そうでなくとも おかしいと思い、心で差別的な感情を抱いてしまうのが、一般の人ではないでしょうか・・・。
愛とは 相手をそのまま活かそうとすることですよね!
この女性の心ふかき、豊かな人間らしい本来の在り方 見つめ方を教えて戴けた思いが致します。
実際に 私自身 そのように相手の心を優しく沿った対応ができるのか?と問いかけた時
恥ずかしいほどに いのちに乱暴な人間だと気づきます。
50歳を過ぎて 久しぶりに 胸が痛く 熱く感じました。
ありがとう ございました。