人の不幸を願うとは

吉永賢一のやる気レポート
東大家庭教師が教えるやる気を引き出す方法

吉永賢一です。

たとえば「嫉妬」というのは
人の不幸を願う気持ちです。

私たちは、なぜだか、人の不幸を願う気持ち、
自分の不幸を願う気持ちを内包しています。

ですから、しあわせを目指すには、
これらの気持ちから離陸しなければならないのですが、
これがたまらなくしつこいのです。

そこで、古来からさまざまな方法が模索され、
伝えられてきたのだと思います。

私たちは、自分で自分の考えている
ことがわかりません。

なぜなら、「自己正当化」の強烈な
はたらきの中にいるからです。

このために「何が正しいか」ではなく、
「自分と同じか/違うか」が判断基準になります。

自己正当化の罠から抜けるには
自己を観察するしかありません。

言動を見、自らのみにくさに気付きます。

どのようにみにくいかと言えば、
「隠された悪意」を隠して平然としているのがみにくいのです。

私たちはほとんど悪意に翻弄されており、
時折、悪意から乖離された気持ちが出る程度だと思います。

「良いことをしている」と思っても、
そこには名利を求める気持ちがあるような気がします。

悪意があるけど、気付かない。

だから「なんでこんなに苦しいんだろう」と
思うことになるのだと思います。

では、どのようにして自らの悪意に気付き、
運命を変えてゆけるのか?

それは、
「~なのは悪意なんですよ」という説明を受け、
「なるほど」と気付いてゆくことだと思います。

自覚的であることにより主体性を回復し、
しあわせの道を歩いてゆけると思います。

すべての雑音を振り払いながら。

ー吉永賢一

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9 thoughts on “人の不幸を願うとは

  1. またまたハイレベルな内容ですね!でも、私はスキ♪自分の気づいていなかったことを気づくことが好きなのだと思います。私が我が子達に教えるとき、小学校低学年くらいまでは、「心の中の天使ちゃんと悪魔ちゃん」の話をします。高学年にもなれば、これ知っていれば、「良心」の話もできます。悪魔ちゃんからの声は人間ならあるものと教えておきます。でも、その声の通りに動くか動かないかは、自分が決めることだということも、何度もその都度教えます。悪魔ちゃんの声を聞いた行動をとってしまったときは、天使ちゃんの声が聞こえなかったのかを確認します。聞こえていなければ、どうしたらよいかわかっていない状態なので、「きっと天使ちゃんはこんな風に言いたかったのではないかな。どう思う?」と質問します。その繰り返しで、その子オリジナルの天使ちゃんを作り上げていきます。天使ちゃんがほとんどの場面で定着してきたら、悪魔ちゃんのいいところも教えます。これは、大きくなったとき、その時の自分がどうしようもなくなったとき、その場から逃げるための悪魔ちゃんの言うことは聞いてもいいことになっている!と教えます。この加減は、その子の性質などで変わります。これは、実践の中で教えるしかありません。たぶん、これが「楽観」という技になるのではないでしょうか?

  2. 自分の場合は「不満」「怒り」というものをスポーツでの練習などで糧にしてます。苦しい時にむかつくことを思い出すと頑張れます。私が嫌いなのが「妬み」「ヒガミ」です。
    仕事だろうが、勉強だろうが、スポーツであろうが悔しければやればいいだろうが!
    人の足を引っ張るより、自分がその相手の上にいけばいいだけのこと。腐った根性では何をやっても物にはならない!

  3. 深い内容ですね。
    嫉妬心は小さな自分の心によく出てきます。
    心のどこかで人の不幸を願っているというか。
    嫌な自分です。
    そして今日のメルマガで驚いたのが
    「自分の不幸を願う気持ちを内包している」
    という文です。
    これは悪意を隠しながら自己正当化して生きていると
    出てくる隠れた感情じゃないかと思います。
    人の不幸を願えばどこか心に引っ掛かり
    潜在意識レベルで自分にも同じことをしようとしているのかな?
    よく分からなくなってきました。
    嫉妬心がなく心から相手に感謝したりするようになれば
    この嫌な感情は少しずつ薄れていく気がします。

  4. 嫉妬心があっても、おめでとうやありがとうを言っている。隠された悪意です。しかし、言わないよりはいいと思いますが、もしかしたら、ほんとの思いを声に出していったほうが良いのですか?隠しているのと見せているのでは、どちらがいいのだろう・・・

  5. 「なんでこんなに苦しいんだろう」と思う時、相手からの見返りを知らず知らす期待して行動していたことに気づかされます。私がそうしたいから、私がそうすることが楽しいから。純粋にそういう思いで、行動しているか、自分に問いながら行動していきます。

  6. 深いお話ですね。
    私たちの無意識はどうやってできたのだろうか、ということを考えてしまいます。
    自分でわからない無意識レベルで、自分の不幸も願っていたのではよい方に自分を変えていけませんね。

  7. 大変興味深いお話でした。嫉妬と怒りはパイプのように繋がっていて、怒りはエネルギーを膨大に消耗します。私はこの怒りのエネルギーに丁度現在、手こずっているところです。
    嫉妬の自覚はあります。その刃が(嫉妬ではなく)自分にも向いているってことですよね。人の不幸を願う事はまた、自分の不幸を願う事にも通じるのなら、その人が不幸になってほしいって願う気持ちをなんとか客観視できるようになっていきたいと思います。

  8. おはようございます。
    「なんでこんなに苦しんだろう」と思っています。。
    ・・確実に、自分の心の中に自覚できる“嫉妬心”があります。。
    もっと学びたいと思っても、私には「学ぶ自由がない」と、人を妬んでいる自分がいます。
    気づかないふりをしよう、忘れようと思っていましたが、
    まずは、この感情を認めてみようと思いました。。

  9. 「隠された悪意」を隠して平然としているのがみにくい

    悪意もあると知る事が必要なのですよね。
    悪意がある自分を知ると
    「よくなりたい、(心が)美しくなりたい」
    と強く感じます。

    悪意があって善意がある

    必ず二面性があることを意識するようにしています。

    難しいですが。

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