叡智を勉強する

吉永賢一です。

「なんで勉強するの?」

本当に、よく聞かれます。

実は、ぼく自身は、あまり疑問に
思ったことがありませんでした。

テストを取るための学校の勉強には、
何かおかしさを感じてはいましたが、

みんなで勉強するのは楽しかったし、
先生と話すのは楽しかったし、

単純でわかりやすい知識を扱うのも、
楽しかったのです。

でも、学校の勉強の多くは、
「叡智」という雰囲気ではありませんでした。

単純で図式的で楽しいのですが、
心の深い部分に栄養になる感じが、
あまりしないのです。

しかし、心の深い部分に届くような内容を
扱おうとすると、深い闇の恐怖のような
ものも覚えました。

「何か、心の中には暗いものがある。
でも、これは自分ではない気がする」

そういうことを、考えていました。

いずれ、自分の中から出ていくというか、
納得して和解できるというか、
そんなことを考えていました。

ことばは、そもそも図式的な
ものなので、ことばを入り口にして、

「感じる」

ことを大切にしながら、
考えるようになりました。

そうやって考えるきっかけとして
大切なもの、その入り口になるものが、

「難しい本」

だったと思います。

本当にわけがわからないものは、
思考の対象として難しいので、
物理や数学を主に使いました。

数学は、自分の心を学ぶ感じで、
物理は、それと自然界の接点を学ぶ感じです。

あとは、人生の経験が書いてある
本を読もうとしました。

心と人生の接点です。

いろいろな職業の人が書いた本があって、
そこで学んだことを教えてくれます。

実践の中で、無意識的にできるように
なっていることを、何とか言葉にして
説明してくれています。

ぼくも、現に人生を生きているわけですから、
そういうものにも、とても助けられます。

このように、

思索だけの叡智と、
実践からの叡智とあるのですが、

軽々しいにせものと、
人生に果実をもたらせてくれる本物を
区別できるようになりたいと思いました。

人間というのは、

「(きっと)こうだ!」

と思い込みやすい面があるので、

そういうレベルの主張、ちょっと思いついた
程度の主張というものに振り回されていると
心が動きすぎる感じになってしまいます。

「(きっと)こうだ!」

という程度の主張は、また別の出来事があれば、また別の

「(きっと)こうだ!」

というレベルの主張になります。

主張がくるくると変わってしまって、
休まることがありません。

ぼくが考える叡智というのは、
もっと落ち着いているものです。

信頼できて、少しくらい、

「違うのかな?」

と思うことがあっても、
時間がたってみるとやっぱりそうである。

そういう類のものです。

そういうものを得ることで、
人生の方向性をわかろうとしてきたわけです。

それには、

「どう生きるか」

というまじめなことだけではなくて、

人生を充実させるには、
その他のこと、自分が求めることもよく見てあげて、
そういう望みも叶えてあげたいと思いました。

感覚としては、「自分に餌を与える」ような感じです。

そうすると、納得して、気持ちが落ち着いて、
まじめなことをやるつもりにもなってきます。

だいたい、ぼくはこのようなことをやってきたのですが、
そうすると、自然に勉強することになります。

探求したいと、自然と勉強することになると思います。

「なぜ勉強しなくちゃいけないの?」

という問いの背後には、

その子がやりたくないことを
やらされているということがあると思います。

読みたい本を書店で選ぶとき、
読みたい本を図書館で借りるとき、
そういう疑問は、出てこないと思うからです。

子供が扱う知識は、
ここに書いた叡智的なものだけでなく、
好奇心を満たす類の知識があります。

子供にとっては、両方が大切だと思います。

だから、両方を与えてあげてください。

大人は、多くの大人は、
好奇心を満たすヒマがないことも多いです。

仕事があって、追われているので、
そういうゆとりがなかったりします。

そういう人は、その分野における、

「ちょっとやそっとでは揺らがない基本」

というものを求めると、人生の基本的な方向、
大きな方向を、良い方向にぐっと向けて
ゆくことができると思います。

川の水というのは、あちこち動きながらも、
大きく見れば、下流に流れています。

こういう大局観が大切です。

小さい動きにとらわれていては、
翻弄されるばかりで、とても疲れます。

「落ち着いて、大きな視点で見る」

「大きな視点で見て、自分が何をなすべきかを知ろうとする」

これを実践しようとすると、
自分の限界を感じて、
偉い人の本を読みたくなると思います。

頼りたくなるからです。

自分が頼りないからこそ、
頼りになるものが欲しくなります。

そして、実際に参考になると、

「さすが、有名な人はさすがだ」

というような感慨を覚えます。

そういう意味で、名著はとても
良いです。

相性の良い名著を探すことは、
人生を充実させてくれます。

名著が良いところは、
結構好きに読んでも、価値をもたらせてくれることです。

ほんの一部を解釈しようと試みるだけでも、
大きな進展を感じたりもします。

むずかしい本に取り組んで、
手応えを感じる。

ぜひ、そういうことを
実践してもらえたらと思って、
このエントリーを書いてみました。

あなたに、すべての良きことが、
なだれのごとく起きますように。

ー吉永賢一

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2 thoughts on “叡智を勉強する

  1. 今回のタイトル、『叡智を勉強する』。叡智という文字に若干尻込みしてしまいそうでしたが、そこはさすが吉永先生、噛み砕いたわかりやすい言葉で説明してくれていて、とても勉強になりました。内容と己を照らし合わせて、僕も思い当たるフシが多々ありました。色々なもの、コトに影響されて何かと思考が変わってしまうことがありますが、根本の部分でぶれない自分を持つことが大事だということを改めて考えさせられました。もう少し読書の時間を増やし、叡智を養いたいと思います。

  2. 学校の勉強って、もっと楽しめれば良いですよね。中には楽しく進行する立派な先生もいますけど。例えば数学のコサイン・タンジェントって社会に出て使った事がないですが、ある時振り返ると、これは算数で勉強した「足し算・引き算」の応用なんだなぁって気付きました。要するに社会人になって、人との交流を含む様々な場面で発想の転換といいますか、その柔軟さ、応用力に役立っていると思いました。だから、本当はこういうことを先生が分かっていて、楽しく笑いながら学校で教えるといいんですね。そして必要と思える事を自発的に楽しく勉強した感覚は、それまでの相乗効果で形を変え必ず将来の社会生活に役立つはずです・・と感じました。

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