なぜ助け合えるのか?

from 杉本

今ご覧いただいたビデオのように、
人も協力しあって、
共に幸せに暮らすことができます。

さて、
人はなぜ助け合うことが、
できるのでしょうか?

困っている相手を助けることを、
「利他的行動」と、
言い換えることができます。

他人のための行動、
ということですね。

この行動を起こすためには、
「相手が困っている、悲しんでいる」
ということを認識する必要があります。

この認識にいたるために、
相手の表情を読み取り、
何を考えているのか、
想像する能力が必要となります。

そのようにして、
相手が困っていることを理解したとき、
私たちの心にはごく自然に、
「助けたい」
「何かしてあげたい」
という気持ちがおこってくるのだと思います。

この気持ちはどこから来るのでしょうか。

私は、親が子を育てるときに、
子どもが親から、
学び取っているのだと思うのです。

人間は他の動物に比べて
親離れに時間がかかります。

そして、その間母親は
自分をある種犠牲にして、
子どもを育てます。

それを子は、
感じ取っていくのです。

母親に利他的に育てられた経験が、
他人のための行動を、
ごく自然に行う基礎になっているのですね。

お母さんやお父さんは、
自分の子どもにとって、
本当に大きな存在です。

お母さんが赤ちゃんを抱え、
小さな子どもと手をつなぎながら、
歩いていくのを見たりすると、
いつも感謝の気持ちでいっぱいになります。

父母の大きな犠牲を通して、
より良い社会が築かれていくのだと確信しています。

育自コンサルタント
−自分を育てるお手伝い−

杉本恵洋(すぎもと しげひろ)

PS.
周りの人との信頼を築き、協力して相乗効果を発揮する方法は
「7つの習慣」から学ぶ事が出来ます。
http://www.nextleader.jp/the7habits/freevideo_15/


6 thoughts on “なぜ助け合えるのか?

  1. 子どもが生まれたばかりの頃を思い出しました。赤ちゃんは、生まれたその瞬間から、泣くことですべてを訴えます。「なんで、泣いてるの?お腹がすいた?おむつがぬれた?寝心地が悪い?暑い?寒い?どこか具合が悪いの?」ただ、ひたすら赤ちゃんの様子を見ながら、おっぱいをあげたりおむつを替えたり、抱っこしたり、一枚多く着せたり脱がせたり、試行錯誤していた頃を思い出しました。
    ママになり、赤ちゃんから学んだこと、多いです。

  2. 是空さんの「赤ちゃんから学んだこと、多いです」は、とても示唆にとんだ言葉だなと思いました。子は親から学び、親もまた子から学ぶ、それぞれの存在が大切で不可欠なんですね。
    まさに、教育は共育なんだなぁ、と感じました。
    ありがとうございます。

  3. 今回の内容ですが、本文にある
    “そのようにして、
    相手が困っていることを理解したとき、
    私たちの心にはごく自然に、
    「助けたい」
    「何かしてあげたい」
    という気持ちがおこってくるのだと思います。

    この気持ちはどこから来るのでしょうか。

    私は、親が子を育てるときに、
    子どもが親から、
    学び取っているのだと思うのです。”

    というのは、少し希望的であるように思います。
    僕は二児の父であり、そうであって欲しいと強く願っていますが、子供の頃にそこまで考えてはいませんでした。

    是空 さんが「赤ちゃんから学んだこと、多いです」と言われていますが、僕は親になって始めて無償の愛に気づかされました。

    そのため子供の段階で学んでいると言ってしまうのは、言い過ぎなように思います。

    もちろん、子供で学び、親になってまた学び、完結するということであれば、大賛成です。

    差し出がましいようですが、感じたことを書かせて頂きました。

  4. 私の母親は、子どもの私に対しても自分を犠牲にして育ててくれました。
    そして夫婦である私の父親に対しても、自分を犠牲にしています。
    私の父親は女が食事や洗濯をするのが当たり前だと思っています。
    今の若い人は男でも台所にたつけど、俺は昔の人間だからそれはしないし、するつもりもないと言いました。母に対して、食べる事と洗濯だけやってくれればいいと言いました。
    母の事を家政婦だと思っているのでしょうか。昔の人間だから仕方ないのでしょうか。
    一度洗濯物をたたむとクセになると言い、父は何も家の事を手伝いません。
    定年後社会とかかわることなく、毎日家にいてテレビをみています。

    そんな父親に、他人の為の行動(私の母親に対して何か手伝ってあげないといけない)を
    思い起こさせるには、どうしたらいいのでしょうか?

  5. 私の母親は自分を犠牲にして、私を育ててくれました。
    そして、夫婦である私の父親に対しても自分を犠牲にしています。
    私の父は女が食事を作るのは当たり前だと思っています。
    今の若い人は、台所に立つのが普通かもしれないけど、俺は昔の人間だから、やるつもりもないし、その考え方を変えるつもりもないと言いました。
    私の母に、食べる事と洗濯だけやってくれればいいと言いました。
    家政婦だと思っているのでしょうか。
    病気を患っている母に、元気なうちはやればいいい、と言いました。
    洗濯物をたたむとクセになるからやらないと父は言いました。
    定年後、社会とかかわることもなく、毎日家でテレビを見ています。
    母は朝から晩まで家の事をこなしています。
    父は何も手伝おうとしません。

    そんな父親に、他人の為の行動(母に対して何かしてあげたい)を起こさせるには
    どうしたらいいでしょうか。

  6. 人の気持ちが痛いほどわかる時が多いのは、そして困っている人を助けたいと思うのも、我が子のことでとても悲しく、苦しい思いをしたからだと思っていました。でも、そのベースになっているのは、私自身が自分の親から無償の愛を受け取っていたからに他なりません。この頃、ふとそんなことを考えていたので、ぴたっと杉本さんの言葉が私の中に収まりました。
     幼稚園教師という仕事がら、たくさんの親子を見てきましたが、親の愛を感じられない(親子の気持ちがすれちがっている)子どもは、人の気持ちがわかりにくく、助け合うということが難しいように思います。親もいっぱいいっぱいで、ゆとりを失っているのかもしれません。
     みんな愛がほしいのです。そらさん、お父さんも寂しいのかもしれませんよ。そらさんが、お父さんの気持ちを理解して、たくさん愛してあげたら、お母さんに対しても、優しい気持ちになれるのかもしれませんね。

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