(重要)「を」か「で」かで変わる生き方

Fotolia_97275066_Subscription_XXL_convert_20160221005558

From:ネクストリーダーチーム 近藤
先日の清原元プロ野球選手の話を
踏まえて、

・スポーツ
・教育
・生き方

などについて書いています。

それでは本日のお話をどうぞ。
—————————————

すでに多くの方が耳にしておられることで
あるが、清原和博・元プロ野球選手が、
覚せい剤使用で逮捕されるという事件があった。

ここ数年、覚せい剤・薬物使用の噂が絶えず、
メディアで目にすることも少なくなっていたが、
いざ本当に逮捕されたとなると、
やはり衝撃は大きい。

 

清原は、私よりは少し若い年代ではあるが、
甲子園で強烈な印象を残した
スーパー高校生であった。

若い方々は、巨人・オリックスに移籍して
からの、少し太った、金髪ピアスの「番長」
などと呼ばれている清原の印象が強いかも

しれないが、高校一年生ながら強豪PLで
4番を打ち、同じく1年生だった桑田投手
との「KKコンビ」は、まさに空前絶後の
スケールだったのだ。

 

清原が在籍した当時のPL学園は、
高校3年間で、春夏合わせて優勝2回、
準優勝2回。

甲子園通算13本塁打は、今でも最多記録
として残っている。

甲子園の実況中継で、大逆転の
大ホームランを打った清原を前に、

アナウンサーが思わず「甲子園は清原の
ためにあるのか」と絶叫したのは、
手のつけようながないほどの清原の
強打者ぶりが伝わる、有名なエピソードだ。

 

しかし、である。
野球の才能に恵まれ、野球の歴史に
輝かしい名前を残すはずの名選手が、
こともあろうに薬物に手を出し、
逮捕されてしまった。

(彼の健康、これからの人生のことを
考えると逮捕されて良かったと思うし、
もっと早く逮捕してやってほしかった
とすら思う)

週刊誌の取材に、元プロ野球楽天監督の
野村克也氏が、このように答えていた。

 

「野球の指導はコーチがやる。
監督の仕事で大事なのは人間教育、
社会教育ですよ」

「野球は技術力には限界がある。
その先は頭で考えるしかない。
そこから先がプロの世界なんだよ」
(以上、週刊朝日の記事より抜粋)

 

またテレビ番組では、心を入れ替えて
原点に戻って頑張れ、という意味では
あるが「清原―野球=0」とも発言している。

つまり、清原から野球をとったら、
何も残らない、ということだ。

そしてこの「誰かから何かをとったら
何も残らない」という事実が、
スポーツ活動に関わる全ての指導者、親、

そして選手自身に、今まさに厳しく
問われているのだということを、
競技スポーツに関わる全ての人間が
真摯に受けとめる必要があるのだ。

清原は、現役引退直後のテレビインタビューで、
「引退してから、バットも一度も振っていない。
朝起きて、何をしたらいいかわからない。
今まで野球ばっかりだったので」という
主旨の発言をしていた。

 

このことは、特に選手の競技年齢が
上がるにつれて、深刻な課題として
迫ってくるものである。

つまり、いつかは迎える「現役引退」、
そのあとのことまで、現役中から
考えているのか、ということである。

私は、中学校から大学卒業まで、
陸上競技選手として活動した
アスリートである。

 

そして自分が競技をしなくなってからも、
指導者・教育者として、アスリートを
育成することに心血を注いだ
という自負がある。

その根底にあるのは、スポーツの素晴らしさを
多くの人に知ってもらいたい、
というシンプルな願いである。

達成の喜び、克服の喜び、感動、仲間。

もちろん、達成できない悔しさ、
克服できない苦しさもある。

 

しかしそれはまさに、人生そのものなのだ。
スポーツを通じて、人生が表現される。
そして人生はスポーツによって彩られ、
豊かに色づく。

その中で得られるものは、大きい。

 

克己心、粘り強さ、協調性、他者への配慮、
チャレンジ精神、公平さ、潔さ、受け入れる力、
計画性、継続力。枚挙に暇がない。

しかしこれらは、野村監督が述べたように、
「教育を受けて」初めて、その人の中に
根付くものなのである。

 

ただ野球をしているだけ、ただ陸上競技の
練習をしているだけでは、克己心や計画性は、
身につかない。

そのスポーツを通して体感し実感でき、
伸ばすことができる資質を、教育する
指導者、監督、周りの大人が見極め、

「野球を教える」のではなく、
「野球で教える」ことが重要なのだ。

なぜなら、野球のスキルは無限にあるとしても、
その選手が全てを表現できることはなく、
つまりスキル面の成長が頭打ちになったときに、

 

そこから先どうやって野球と
向き合うのか、ということは、本人が
考える以外にないからだ。

 

その「そこから先」を生きる術を、前もって
教えてあげるのが、指導者の役割なのでは
ないだろうか

そういった教育を受けてきたアスリートは、強い。

これは競技面で、という意味ではない。
人としての強さ、たくましさ、大きさを持っている。

思い通りにはいかない競技スポーツの世界で、
言うなれば「苦労を買ってでもしてきた」のである。

 

避けようと思えば避けられた悔しさと向き合い、
経験しなくても良かった苦しさも経験してきている。

心の痛む言葉であるが、よく「運動バカ」とか
「体育会系の・・」などと揶揄したように
表現されることもある。

そういった言葉を使う人は、残念ながら、
その方の人生の中で、正しい教育を受けた
アスリートと出会わなかったのであろうと推察する。

 

清原は、野球解説もわかりやすく、
上手だったと聞いている。
本人にも、指導者として野球界に戻りたい
という願望があったそうだ。

しかしそれがなぜ、叶わなかったのか。
その人個人の性格、生き方、考え方、と
片付けるのではなく、

 

清原は「野球を教えられ」てきたのであって
「野球で教えられた」経験が、極めて
少なかったのではないか、と考えてみることが
重要なのではないだろうか。

 

今日はここまで。
最後までお読みくださり、ありがとうございました。

(原田隆史)

(原田研究所公式メールマガジン
【アスリート教育の重要性と可能性】より)
—————————————
P.S.
人としての強さ、たくましさ、大きさを
持てる自分になりたいと思うのならば
ヒントはここにあります。

http://www.nextleader.jp/H20D/lesson/index_b.php

 

 

 

One thought on “(重要)「を」か「で」かで変わる生き方

  1. 原田様 近藤様
    深く考え腑に落ちる内容でした。ありがとうございます。
    変化の局面を向かえた時に、恐怖や不安でなく未来の時間軸でも
    しなやかに生きることのできる処世術ともいうべき考え方、
    ものの見方は、ある意味その場で必要なスキル以上に
    大切なものとも思います。
    最初の仕事の指導者や
    先達から折あるごとに教わってきました。
    そして、自分もそこに至っていないと思いつつも
    後輩にはずっとそれを伝えてきました。
    自分が忘れても、相手から久しく時間が経って
    感謝していると言われた時に
    間違っていなかったと確信が深まりました。
    今は、それを目に見える形にする
    大切な時期を迎えていますので
    原田さんのなさったことは
    想像以上にすごいことだと感じます。

    これからも、
    ご指導、メッセージを楽しみにしております。

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

次のHTML タグと属性が使えます: <a href="" title=""> <abbr title=""> <acronym title=""> <b> <blockquote cite=""> <cite> <code> <del datetime=""> <em> <i> <q cite=""> <s> <strike> <strong>